2011.09.06
大手広告代理店時代の豊富な駐在経験を経て、父親の負債返済のために39歳で退職。その後、外資系高級化粧品メーカー「ジバンシイ」をはじめ、計5社の外資系企業のブランド再生を成功に導いてきた高倉豊氏が語る、ヒト・モノ・カネをかけずにできるブランド再生に必要な要素と考え方とは? モノにあふれたこの時代に、消費者に選ばれるためには? そのヒントを事例とともにお話いただきました。
PROFILE
高倉 豊(たかくら ゆたか)
1948年兵庫県生まれ。自由学園男子最高学部卒業。1970年博報堂入社。1988年パルファム ジバンシイ代表取締役。1992年イヴ・サンローラン・パルファン代表取締役社長。1997年タグ・ホイヤー ジャパン代表取締役。2000年シスレー ジャパン代表取締役。2004年エスティ ローダー ダルファン事業部ゼネラルマネージャー。2005年ウブロ ジャパン代表取締役。2010年にウブロを退職後、ブランド再生請負人としてコンサルタントやセミナー講師として活躍中。
|第1章|資源のない私たちに残された道、業界の非常識が導いた成功
私は今まで、いくつかの外資系ブランドの立ち上げや再生に関わってきました。大抵が、販売会社を国内から撤退させるかどうかという瀬戸際にあるブランドです。そうしたブランドはほとんどが、「お金がない、人がいない、売れる商品がない」という状況でした。そこからブランドを復活させるためには、いくつかのルールがあります。その一つが、「ターゲットを変える」ことです。
高級化粧品メーカーのシスレーを例にお話ししたいと思います。私がシスレーの仕事を始めた頃は知名度もほとんどなく、百貨店の小さな売り場にもお客さまが入りませんでした。百貨店側からは、このままでは次のリニューアル時に存続を検討せざるを得ないと言われていました。 売り場に置いてもらえるよう、とにかく売上げを伸ばさなければ、しかも、短期間で今後の成長を期待させなければなりません。
当時のシスレーのイメージは、“お金持ちのマダムの化粧品”。40代から50代の富裕層を狙って伸び悩んでいました。一方、百貨店の総売上げを年代別に見てみると、20代・30代が大きなシェアを占めている。今までのように50代を狙っていても、ほかのブランドに大きく勝つことはできないと考え、一番大きなマーケットである20代・30代にターゲットを変更しました。
若い世代に人気のあった雑誌「JJ」にも広告を入れました。当時の編集長と親しかったこともあるのですが、JJも化粧品の広告がとれず苦心していたのです。JJとしてもシスレーの広告で結果を出したいということで、広告費は抑えることができました。ところが、当時のJJの誌面レイアウトは洗練されたものではなく、そのうえ大学生が読むような雑誌に広告を入れることに、本社は大反対でした。しかし、今までの方法を続けていても、百貨店の売り場から撤退しなければならないのですから、とにかくやってみたのです。すると、翌年には伸長率が40%を記録しました。業界の常識にとらわれず、大きなマーケットを狙った結果です。
もう一つ、高級時計メーカーのウブロのお話をしましょう。ウブロは金やチタン、セラミックなど異素材の融合を開発テーマに、「フュージョン」をコンセプトとしていました。ただこれは、マーケティングコンセプトとしてはひじょうに分かりにくい。そこで、「オフタイムの時計」にしようと考えました。
時計マニアの方の流行にしてしまうと、売れるのは早いのですが、落ちるのも早い。しかも、普通のビジネスマンには購入してもらえません。そこで、地方の経営者をターゲットとしてイメージし、「日経ビジネス」などの経済誌に絞って広告を出稿。現ソフトバンク・王貞治球団会長や、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんに、自分のオフタイムについてお話ししていただきました。
これがひじょうにうまくいき、本社のスタッフも翌年も続けましょう、と言ってくれました。しかし、同じ方法を続けたくはありませんでした。見え方は変えたほうがいい。ちょうどリーマン・ショックがあったこともあり、次年度は「時のカギ」をテーマに、大変な時をどう乗り越えたかを、著名人に語っていただきました。結果として、3倍の売り上げになりました。
今の時代はとにかくブランドがあふれています。1つの商品のライフサイクルが短くなっていて、成功しても2年と続きません。それを引きずるとすぐに頭打ちになります。結果を出した後も変革を行う、これはひじょうに大切なことです。