｜第２章｜ビジョンは“絵空事”でいい。共感と夢が持てるものを

　1つ目のキーワードは「ビジョンと価値観の共有」です。私は1986年にアメリカのコーネル大学ホテル経営大学院の修士課程を修了しましたが、当時学んだことが通用しなくなるほど、リゾート業界は激変しました。ただ、ヒューマン・リソース・マネジメント（人材学）は、今でも印象に残っています。

　「経営者が最初にすべき仕事は、ビジョンと価値観の設定だ」。私が経営者となり、人材が集まらずに苦労していたときに思い出したのが、教授のこの言葉です。いい人材を採用するために、給与を高くしたり、休日を増やしたりしては、会社の利益は減っていきます。財務状況が良くなればそれもできるようになりますが、当面は難しい中で、どのように魅力的な会社にしていけばいいのか。そこで、ビジョンと価値観を設定してみることにしたのです。この方法なら、費用は何もかかりません。

　ビジョンを設定するときには「本当の意味で向かっていきたい将来像を示すことが重要だ」と、教授は話していました。現在と目指したい将来像には、距離があって当然です。しかし、多くの企業は、 現状よりも1歩か2歩だけ先に見える姿を示します。なぜなら経営者は、目標を設定すると、そこへ向かっていくプロセスの確実性や達成の実現性を心配してしまうからです。自分が達成できそうにないビジョンは、なかなか描けないものなんですね。 　私は「リゾート運営の達人になる」というビジョンを掲げました。それを話したときにはみな、呆れていました。でも、自信を持って進められたのは、教授の言った「ビジョンは“絵空事”でいい」という言葉でした。教授はこんなエピソードを話してくれました。

　1960年代後半、ジョン・F・ケネディ大統領は「アメリカは10年以内に人間を月に送って、無事に生還させる」と公言しました。アメリカは当時、ソ連との宇宙開発競争で不利な立場にありましたが、そうした状況でケネディ大統領は、明確なビジョンを示したのです。彼は宇宙工学に詳しかったわけでも、自信があったわけでもないでしょう。ただ、ビジョンを示すことで、アメリカ国民は夢が持てる、実現できればプライドが持てると考えた。教授いわく、「企業のビジョンも、そんな“絵空事”でいいんだ」と。

　ですから、みなさんの会社やサロンでも、スタッフが目を輝かせて、夢を持てる、そんなビジョンを考えてみてほしいと思います。そして、ビジョンの実現を目指していくときに、制約要因になるのが「価値観」です。価値観を設定するときには、それを破ってまで将来像を達成しようとしてはいけない、と思えるものを考えてください。

　星野リゾートには7つの価値観があります。「法令遵守」「同僚への敬意」「取引会社への礼儀」「経営情報の共有」「自由な情報交換」「機会の均等」「喫煙者なしの組織」です。「喫煙者なしの組織」に対してお叱りを受けることもありますが、「価値観は経営者の意思で決めるものだ」と教えられました。

　例えば、船には目的地と航海中のルールを了解して乗船します。船が出てからサンフランシスコだった目的地をロサンゼルスに変えてはいけないし、航海中のルールを議論して変えてもいけない。嫌ならはじめからその船には乗らなければいいのです。企業におけるビジョンは船の目的地、価値観は航海中のルール。ですから、星野リゾートの価値観は、私が大切にしたいと思うことを設定しました。