2013.09.24
「エシカル・ジュエリー(環境や社会に配慮した宝飾品)」。2009年、日本ではまだなじみの薄い言葉を旗印にアクセサリーブランド「HASUNA」を立ち上げた。「世界から貧困をなくしたい」思いを胸にひた走り、現在、伊勢丹新宿店内などに3店舗を構える。業界で前例のないチャレンジにいかにして取り組んだのかを、お話いただきました。
PROFILE
白木 夏子(しらき なつこ)
1981年鹿児島県生まれ、愛知県育ち。2002年から英国ロンドン大学キングスカレッジにて、発展途上国の開発について学ぶ。卒業後は国連人口基金ベトナム・ハノイ事務所とアジア開発銀行研究所にてインターンシップを経験。投資ファンド事業会社を経て、2009年4月HASUNA Co.,Ltd.を設立、代表取締役に。エシカル=環境や社会に配慮したジュエリーブランドを中心とした事業を展開。2011年3月に南青山店をオープン、2012年7月に名古屋栄、2013 年3月伊勢丹新宿店内に進出。日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2011キャリアクリエイト部門受賞。同年、世界経済フォーラム(ダボス会議)が選ぶ日本の若手リーダー30人、『AERA』の「日本を立て直す100人」に選出。
|第1章|はじまりは、世界の貧困問題をなんとかしたい
まず、HASUNAのことを簡単に紹介します。HASUNAは2009年、ジュエリーの製作と販売をする会社として誕生し、今年で5年目を迎えました。ダイヤモンド、18金、プラチナなどを使用して、イヤリングやネックレス、婚約指輪、結婚指輪などを製作しています。従業員数は7名、アルバイトを入れると26名。店舗数は3つで、南青山店、名古屋栄店、伊勢丹新宿店のジュエリーコーナーです。最初は私が一人で立ち上げて、資材の調達、製作、デザイン、営業、お客様に直接販売したり、店頭に立ったり…一人ですべてやっていました。今思うと大変でしたね。そんな感じで少しずつ会社を拡大してきました。
今日私が身に着けているのも、自社のものです。エシカル・ジュエリーは、見た目は一般的なものと変わらない。大きな違いは、素材の調達で現地に直接行くところです。私には「生産者の顔を直接見たい」という強い思いがありました。そこについてお話ししたいと思います。
私は大学生のときに、貧困について研究をしていました。どうやったら、貧困で苦しんでいる人たちが生まれない世の中になるのか? リサーチを兼ねて、バックパッカーでインドに行ったんです。南インドのチェンナイから、バスと徒歩で5~6時間行ったところ。そこは、アウトカーストと呼ばれる人が住むところで、かなりの貧困地区でした。
そこでたまたま鉱山労働者の人に会いました。子どもたちまでが苦しそうに働いていて、大人もほとんどお金をもらえないか、一日一食食べられればラッキーという状態。子どもが生まれても貧しすぎて育てられない。最近テレビで、インドの女性が暴行されて死ぬという被害のニュースも出ていましたが、アウトカーストの人にも多く、私が2ヶ月間滞在している間にもありました。殺されてもメディアもほとんど取り上げず、事実は隠されてしまう。日本では考えられないような状態でした。
一方、鉱山で採掘しているのは、大理石やカメラのレンズなどに使われる雲母。私が行った鉱山は、金、ルビー、サファイヤ、いろんな鉱物が採れる場所でした。冷静に考えれば、電気もガスも水道もない場所で現地の状態を見たところで、21歳の学生の自分には何もできない。悔しい思いの中で考え続けたのは、「どうしてこの人たちはこんなに苦しめられているのか?」ということでした。鉱山で作られる雲母は、カメラや化粧品など、私たちの生活や心を豊かにする物に使われる。それなのに末端でそれを生み出している人たちは、こんなにも苦しんでいる。このギャップを知っている人って日本にはほとんどいないんじゃないか。私はたまたま行き着いたけど、まず観光でそんなところに行く人はいないし、知ってる人もいない。そこに問題意識を感じたんです。
その後、国連人口基金やアジア開発銀行研究所で半年間インターンシップを経験。それから不動産投資ファンドの会社に入り、基本的な金融のやり取りとマーケティングについて学びました。経験を積む中で、私は結局ビジネスじゃないと現地の問題は解決できないのではないか、と思い至りました。鉱山労働者の人にお金を渡しても、砂漠に水をやるようなもの。私が彼らに10万、20万円渡したとしても、結局彼らの上に雇ってる人がいて、彼らは逃げ出すことができない。変えなければいけないのは、がんじがらめの鉱物業界、ジュエリー業界のあり方なのではないか、と思いました。
変えよう。変えるにはどうしたらいいか。大きな会社に入ってやる方法もあるかな、と考えました。ところが、金や水晶などを調達するときに現地を見に行く一般のジュエリー会社はありませんでした。だから、実際行って、ちゃんと作って販売できるということを自分で証明しようと思ったんです。