トータルビューティ
2013.04.10
今回のトップインタビューは、広告代理店での勤務を経て、4年前トータルビューティーサロン「uka」の副社長に就任した渡邉弘幸氏。 以降、メディアへの露出の急増や、オリジナルプロダクトの躍進、近年では時枝弘明氏の移籍、丸の内への出店など、常に業界内外に新しい話題を提供し続けるuka。 美容業界では異色の経歴を持ち、新しい時代のサロン経営を進める渡邉氏に、お話を伺いました。
PROFILE
渡邉 弘幸
明治大学政経学部政治学科卒、1988年株式会社博報堂に入社。営業局に配属。2006年同社営業部長、2009年株式会社博報堂を円満退社後、同年株式会社向原(現・株式会社ウカ)に取締役副社長として入社。 エクセルからukaへのブランドスイッチ、社内大学であるukademy、ukaネイルオイル等、オリジナルプロダクト・サロンメニューの開発を担うR&D、ukafeを立ち上げる。株式会社向原商事(現・株式会社シーユー)代表取締役社長を兼任。
|第1章|キャリアを積んだスタッフが輝けるサロンに
野嶋 今日はよろしくお願いします。僕は普段からよく渡邉さんとはサロン経営やブランディングの話を聞いていますので、重複する部分もあるかとおもいますが、どうぞよろしくお願いします。
渡邉 はい。よろしくお願いします。
野嶋 まずは、渡邉さんがukaに入られてから取り組まれたことをお話いただけますか。
渡邉 一番最初に手をつけたのは、教育体制と評価制度の変更ですね。
まず考えたのは、生涯教育をしていかなくてはいけないということです。美容業界って、年齢が上になると、独立するか、実家に帰るか、ひどい場合はハサミを置いて違う職業に転職するか。そういう道が多いように感じ、志豊かな若い人たちが将来に不安を抱いているなと思ったんです。
以前は独立して一国一城の主になるというのにも夢を持てた時代だったでしょうが、今はそういう時代でもない。
だから、キャリアを重ねるほどに輝ける組織づくりをしていかなくてはいけないと感じたんです。
野嶋 それがukademy(ウカデミー = ウカ + アカデミー)の始まりだったんですね。
渡邉 そうです。それまでの教育はどうだったの? というと、背中を見て学ばせる。師匠の技を盗ませるという世界だったわけです。
それをしっかり言語にして後世に伝えられるものにしていくということに取りかかりました。
創業者の向原の技術を全部受け継いでいるのは技術責任者の巌谷なので、彼を中心に、教育する側のスタッフの見直しから取り組みました。
このプログラムづくりを開始してすぐ、向原から教わったことが教育する側のレベルのスタッフにも同じ基準で伝播されていないということに初めて気づき、巌谷も愕然としていました。
野嶋 そういう知識、ナレッジをマニュアル化していくことって難しいですよね。
渡邉 その通りです。でも、いろんなイノベーションを起こしてきた企業というのは、必ず創業者のDNAを残しているものなんですね。
幸いなことに、僕たちにも足がかりになるDNAがあって、それは向原がずっとスタッフに伝えてきた「本物の技術、本物の感性、本物の気配り」という言葉だったんです。
そこで、本物の技術とは何か、本物の感性とは何か、ということをブレイクダウンし、それに基づいた技術であるかどうか、それに紐づいている教育プログラムであるかどうかということを検証しながら進めることができました。
野嶋 その抽象を具体化するためにはどうなさったんですか?
渡邉 ひとつひとつ紙におこして明文化しました。同時に人事制度も変えたんです。リーダーが4、5人の部員をまとめてお客様にサービするという形にし、チームリーダーに託していくという形をとっています。
野嶋 主体性を高める組織づくりですね。それはどれくらい進化して定着しているんですか?
渡邉 そうですね。もちろん最初は僕と季穂(ネイリストの渡邉季穂社長。渡邉氏の妻)と巌谷の3人で、納得がいくまで激しくコミットしました。今では、それぞれのリーダーが自主性を持って動けるようになっています。
野嶋 自走しはじめているんですね。
渡邉 少しずつですが、自分たちで構想力を持って動けるようになってきていると思います。