ヘアサロン領域
2013.02.13
代官山のヘアサロンでの勤務を経て、2009年1月、夫婦で沖縄に出店。「デザイン提案型美容室」をキャッチフレーズに、沖縄に新風を起こしている「es」。
出店のいきさつから、地域の美容師同士のつながりづくり、今後の沖縄美容の可能性まで、オーナーの上村さんにお話を伺いました。話は沖縄的口コミの広がりかたから、美容が街に与える影響まで広がり……。
(取材協力:ザ・ナハテラス)
PROFILE
上村 コウイチ
神奈川県横浜市出身、1970年生まれ。渋谷国際文化理容美容専門学校卒業後、横浜のサロンで4店舗のマネージャーを経験、最大時50名の部下と4名の店長の舵を取る。東京吉祥寺のサロンに入社後代官山のサロン出店にOPENINGから参加。店長を務める。サロンワークを中心に、一般紙や業界誌の撮影にも参加、メーカーの講師活動や新商品の開発にも加わる。2009年、沖縄にatelier [ es ] HAIR DESIGNを設立。3名でスタートしたサロンには2013年1月現在、8名のスタッフが在籍し、オープン以来4年間、スタッフ定着率は100%。退職者は1名も出ていない。2013年春には新卒採用が1名決定している。 2012年中には美容業界誌「Ocappa」でのフォトコンテスト入賞。「しんびよう」「TOMOTOMO」「Snipstyle」などにも作品が掲載された。
|第1章|「デザイン」をサロンの核に 代官山から沖縄へ
野嶋 上村さんは、東京で働いてらしたんですよね。独立して沖縄に出店された経緯からお伺いできますでしょうか。
上村 はい。僕自身は横浜の出身なんですけれども、うちの奥さんが沖縄の出身なんです。東京の同じサロンの違う店舗で働いているときに結婚したのですが、最終的に一緒にお店を持ちたいねということになって、場所をどこにしようかと考えたときに、候補のひとつに沖縄があったわけです。
僕は性格的に石橋を叩けるだけ叩いて結局、渡らないタイプで(笑)。ものすごく慎重派なんですね。沖縄出店は、頭によぎってから4、5年。実際動きはじめてからは3年くらいかかりました。その間、こっちへ行ったり来たり。
野嶋 こちらにいらしたときは、どんなことをリサーチされていたんですか。
上村 準備中のころ奥さんが29歳だったんですが、僕が出したいサロンのターゲットゾーンとしてはど真ん中かなと思っていたので、こちらに来るたびに奥さんの同級生に集まってもらって美容室についてというテーマで自由に話をしてもらうのを繰り返しました。いろんな話を聞いた結果、「いけそう」というよりは「楽しそう」って思ったんですね。不安は変わらないけれども、楽しそうって。
野嶋 最も判断の決め手になった情報はどんな情報だったんでしょうか。
上村 一番の決め手は平均年齢が日本一若いということです。40歳ちょっとくらいなので。
野嶋 そうですよね。日本全体では45歳超えていますから。
上村 平均で4、5歳若いというのは相当すごくて、いろんな面で実感します。例えばお店で扱っている商材も、ここ数年は比較的アンチエイジング的な要素がいっぱい出てきている中で、沖縄ではあまりジャスト感がないんですよね。
野嶋 まだ早いよっていう感じなんでしょうね。
上村 いわゆる“おばあ”と言われる年齢の人たちから、おばあに差し掛かる年齢の人たちには、行きつけの美容院があるんです。
だから僕らみたいな自分の名前を使わないサロン、ちょっとかっこつけているようなサロンに来る人たちは、やっぱり若いんです。25歳から35歳くらいがメインです。
まだ白髪が気になる年齢ではないし、若いメニュー展開のほうが反応がいい。そんな部分もやっぱり沖縄ってちょっと特殊だな、と。このような若い人たちがターゲットだったら、僕らが今まで東京のサロンでやってきたことの延長で勝負できるという考えもありました。
野嶋 東京のサロンでやってきたことと言いますと、例えばデザインとか?
上村 そうですね。カットの新しさやデザイン、感性の部分ですね。もちろん集客の面で心配もあったんですけれど、安くするのではなくデザインを打ち出して勝負したいと思っていたので。沖縄で若いお客様相手のサロンであるならば、東京での経験が生きると思いました。
サロンをオープンするときに「デザイン提案型美容室」というキャッチフレーズをつけました。お客様に「自分で髪型を決めずにきてくださっていいですよ」という意味もありますし、「こちらがリードしますので安心してください」という意味もこめています。お客様の中には「何も決めてきてないんですけれど、すみません」っておっしゃる方が結構いらっしゃるんですよ。でも、全然謝ることじゃないんですよね。本来、美容師がお客様のいろんな希望を組み立てて一歩先を提案するべきだと思うので。
(取材協力:ザ・ナハテラス)