ヘアサロン領域
2014.06.26
アクアから独立して13年。現在、青山に1店舗、マレーシアのクアラルンプールに直営サロンを3店舗構えるNALU(ナルー)Number76の浜口さん。クアラルンプールにおける同店の存在感は、年々強くなっています。1年のうち11か月はマレーシアのサロンに立つという浜口さんの帰国のタイミングでお話を伺いました。
PROFILE
浜口 大介(はまぐち だいすけ)
1974年長崎県長崎市生まれ。1996年、アクア原宿店入店、5年間勤務。教育マニュアル作りや新入社員研修プログラムに携わる。
2001年、南青山へ独立出店。2年後、表参道へ移転し76CAFE同時オープン。
2011年、マレーシア、クラルンプールにて number76 をオープン現在4店舗。
NALU Number76 webサイト → http://www.nalu-style.com/
|第1章|講習会がきっかけで海外出店をビジョンに
野嶋 今年でNALUがオープンして13年目でしたか。浜口さんは20代でお店を出されたんですよね。
浜口 そうです。26歳のときに独立しました。
野嶋 早い独立には理由があったんですか?
浜口 そうですね。僕はアクアに5年勤めていたのですが、当時のアクアはタレントぞろいで、全員が「自分はどの分野で輝けるのか」「どの分野で上の人たちに認められるのか」ということを探しているような時代でした。業界誌で認められる、一般誌で認められる、カリスマ性がある、センスがある、デザイン力がある……。
いろんな場所で自分の存在をアピールする機会を狙っているスタッフたちの中で、僕はそのどれも持っていなかったのです。そんなときに、僕に水があっているなと思ったのは、教育の分野だったんですね。
野嶋 教育ですか?
浜口 そうです。アクアは強い技術とデザインを持っているサロンでしたが、「なぜこのラインで切ったらカッコいいのか」という、その理屈をもっとわかりやすく教育できるのではないかと思ったんです。ですから、自ら志願して、そのような仕事をたくさんいただきました。
ヘアショーをやるという立場で全国を回るスタッフもいましたが、僕は、技術を教えるという切り口で地方の講習を回らせてもらっていました。
野嶋 独立のきっかけになった出来事はあるんですか?
浜口 そのような講習で、海外から日本に勉強しに来たいという人たちを迎える機会があったんです。
そこで痛烈に思ったのが、台湾や香港から来る人たちは、国を背負っているというくらいの凄まじい熱意で勉強をしたがるのです。もちろん国民性はあるのですが、その熱意は会社のお金で講習に来る日本人の比ではありませんでした。
その姿に触れた僕は、これからは世界の中で日本の技術を伝え、世界の美容業界に貢献するべきではないかということを考えたのです。
野嶋 もっと海外で活動したいと。
浜口 そうですね。「海外にお店を出す」ということを、自分の将来のビジョンのひとつに置きました。
でも、その当時のアクアは、まだ国内でブランドをしっかり確立したいという時期だったので、「それではお店を辞めます」と。
野嶋 そこで独立されたわけなんですね。
浜口 けれども、いざアクアの看板が外れてみると、僕自身はただの普通の美容師なわけです。自分はアクアという看板があって初めて、香港の人にも台湾の人にも触れ合えたのだなと気付きました。自分がやりたいことと、ゼロからブランドを築いていかなくてはいけないことの間でジレンマがありましたね。
野嶋 NALUという店の名前にはどんな由来があるのですか?
浜口 NALUというのは、「波」という意味です。やはり、海外に向けて、もしくは海外から日本に向けても何かを発信したいという気持ちがあったんですね。