サロンで始める
訪問美容~データ&実例編~
超高齢化社会を迎え、サロンの潜在市場として注目される “訪問美容”。
データや実践事例を交えて訪問美容の可能性について考えていきます。
vol.15
実例編美容・化粧の力で高齢者が健やかになる。
資生堂の化粧療法プログラムとは?
資生堂
- CSR部ライフクオリティー事業G:
- 池山和幸さん
医学博士、介護福祉士。京都大学大学院医学研究科にて学位取得。大学院在学中に介護福祉士を取得。2005年、資生堂に入社。皮膚科学研究に従事しながら、高齢者の化粧実態調査を毎年実施。2009年より高齢者に対する化粧療法研究を本格的に開始。2013年から研究内容を事業化させ「化粧療法プログラム」をスタート。「高齢期に最高の輝きを提供する」をモットーに、あらゆる女性がどのような状態になっても気軽に化粧を楽しめる社会をつくることを目指す。
-
Q
「化粧療法プログラム」に取り組み始めたきっかけは?
-
A
「『キレイになりたい』と思っている高齢者の方の元に、化粧品がなぜないのか?」と痛感したことです。
在学中から「化粧」「高齢者」に関心をもっていました。
男性の自分が化粧に関心をもったきっかけは、まゆ毛が薄いというコンプレックスでした。学生時代のアルバイト先の女性店長にその話をしたら「それなら描いたらいい」と言われ、まゆ毛を描き足したところ大きな心境の変化がありました。女性にとっては当たり前のことかもしれませんが、自分には「化粧ってすごい!」と。それで、「化粧」と「新しい何か」をかけ合わせた仕事がしたいと考え始めました。当時は介護保険が導入された時期で、高齢者に関する暗いニュースが多かったこともあり、「自分が高齢になったときに、キレイな高齢の女性が多い世の中になっていたら明るい社会になり、自分もハッピーだ」と思い、「化粧×高齢者」に関わる仕事を志したのです。
大学院では医学研究科にいたので、高齢者や介護は専門外。そこで、在学中に介護福祉士の資格を取得することにしました。資格取得のために施設の現場実習をするなかで、「高齢者の生活の質の向上」を意識した化粧療法について考えるようになったのです。就職活動中に、資生堂が高齢者施設で利用者さまに化粧を楽しんでいただくボランティア活動をしていたり、化粧療法に取り組んでいることを知って、採用試験を受けて現在に至ります。
化粧品がないため、歯磨き粉を顔に塗った高齢者の女性。
資生堂に入社後、いきなり希望の研究をさせてもらえたわけではありません。それでも「化粧療法を絶対にやるんだ!」と自分に決意させたできごとがありました。会社のボランティア活動で施設の訪問をした際に、理学療法士の方からこんな話をうかがったのです。お互い配偶者を亡くしていた男性と女性の利用者さまが恋におちたそうです。するとある日、その女性が認知症だったわけでもないのに、顔に歯磨き粉を塗りたくっていたというのです。聞くと、その女性の持ち物の中で「自分をキレイにするものはそれしかなかった」とおっしゃったそうです。
その話を聞いて、私は涙が止まりませんでした。「世の中には化粧品が山ほどあるのに、本当にキレイになりたいと思っている人の手元になぜないのか。化粧品会社は何をやっているんだ?」と。介護施設は利用者の方々に生活介護やリハビリなどのサービスが提供される場所なので、美容や化粧は優先順位が低かったり、当時は化粧品を持ち込めない施設もありました。そうした雰囲気の中で、どうしたら美容を取り入れてもらえるかを、真剣に考え始めました。
-
Q
「化粧療法プログラム」とは具体的にどんなことをするのですか?
-
A
高齢者の方の身体の健康を取り戻すことを目的に、その手段として「化粧をする行動」を取り入れることです。
運動機能のリハビリや健康ケアに「美容」を取り入れると、楽しめるようになります。
「化粧をすると高齢者の方が笑顔になったり気持ちが元気になる」という心理的な効果は以前から研究されていました。けれどそれ以上の効果があると私は確信していました。数々のスキンケアやメイクのアイテムを準備し、容器のフタを開け、自分の顔をマッサージしたり、目元など細部に丁寧にメイクする動作は、実に複雑で細かい作業です。それがさまざまな身体や脳のトレーニングにもなり、実際に多数の施設でそうしたことを実践・研究し、科学的なデータを積み重ねてきました。
例えば、顔のマッサージをすると、だ液腺を刺激します。だ液が出ることは口の中を清潔にしたり、食欲を増したり、歯周病などの病気の予防にもつながります。また、化粧品のフタを開ける動作は手指の筋力トレーニングになります。その結果、食事をするのに介助が必要だった方が、自分で食事ができたり、握力がついて手すりにつかまって立てるようになった例もあるのです。
リハビリや口腔ケアは、利用者さまにとっては「大事だけれどあまり楽しいものではない」と捉えられています。でもそれを「化粧でできる」と言うと、みなさん楽しんでやってくださいます。何より、化粧は若いときにはみなさんやっていたので方法をご存知です。リハビリ運動はがんばるという意識がないとなかなか取り組めませんが、化粧なら「知ってるからできるし、キレイになって楽しい」とやり始めてくださいます。「化粧療法プログラム」はちょっと働きかければみなさん喜んでやってくださるので、そうした“場”や“機会”をつくることが大事だと考えています。
施設だけでなく、すべての高齢者の方の「介護予防」にも効果的。
現在進めているのは、施設での「化粧療法プログラム」の実施だけでなく、自治体などと連携した「介護予防」の取り組みです。大多数の高齢者の方々はお元気で自宅にいらっしゃいます。けれど段々と外出することが減っていくことで、運動機能が低下し、寝たきりとなってしまうのです。社会とのつながりが減ると、出かけないだけでなく人と会話する機会が減り、口腔機能が衰え、食欲がなくなって栄養が摂れなくなり、筋肉が作られなくなるという負の連鎖が起きます。
自治体でも、高齢者の外出を促すために「体操教室」などの取り組みは実施されていますが、それ自体に興味がないとなかなか参加に至りません。そこで「外出したくなるサービス」として「化粧療法プログラム」を取り入れてもらっています。自治体のプログラムに「キレイになる」ことをかけ合わせると「行ってみたい」と思っていただけるようです。昨年実施した横浜市での取り組みでは、「化粧療法プログラム」に参加された約4割の方が閉じこもりがち(外出頻度が週3回以下)でした。また、参加された約9割の方が、「化粧をすると外出したくなる」と回答しました。美容の力が外出するきっかけとして有効だということがわかりました。
高齢者の方が「自分で化粧する」ことが大事。
「化粧療法プログラム」のポイントは、リハビリや口腔ケアの一貫ですから、高齢者の方々が「自分でスキンケアや化粧をする」ことです。イベント的に美容のプロがしてさしあげるのも心のケアには役に立ちますが、健康が目的の場合は「継続してご自身でする」ことが大切です。毎日メイクするのが無理でも、スキンケアは日々続けられるようにおすすめしています。
そのために必要なのは、まわりの方のご理解です。「高齢者の方が化粧をする」というと、ご家族が「年寄りなのにみっともない」とおっしゃる場合があります。でも親御さんにはお元気でいてほしいと願っている。美容や化粧がいかに健康や元気につながることかを、介護に関わる方々にご理解いただくのも、我々の仕事かもしれません。また、「化粧品を買ってきて」と親御さんに言われたときは、安くて適当なものですませるのではなく、できる限りご本人が望むものを使わせてあげてほしいと思います。女性の方はみなさん若いときに使っていた愛用品がありますから。
-
Q
今後「化粧療法プログラム」を通じてどんなことをしていきたいですか?
-
A
人間らしく生きるために、化粧が社会のインフラのひとつになる世の中にしていきたいです。
外部向けのセミナーを実施し、資格制度もスタートしました。
「化粧療法プログラム」は社内のビューティーセラピストを中心に活動してきましたが、化粧療法の考え方に基づいたアクティビティスキルを学んでいただく「資生堂 ライフクオリティー ビューティーセミナー」を、外部の方向けに開催しています(http://www.shiseido.co.jp/lifequality/welfare.html)。さらに、昨年からは「資生堂化粧セラピスト」という認定試験をスタートしました。セミナーは日頃から高齢者の方に関わっている、介護スタッフや看護師、歯科衛生士、理学療法士の方々のほかに、ご家族や美容関係者の方にも受講いただいています。
介護施設では、日頃の業務に「化粧を追加する」のは、「仕事が増える」と考えられがちです。そうではなく、日々の業務の中に「かけ合わせる」と捉えていただく。例えば前出のように、自分の顔のマッサージをする動作をリハビリや口腔ケアとして取り入れれば、「利用者さまに楽しんでやってもらえ、健康にしてさしあげられること」に変えていけるのではないかと考えています。
化粧は女性にとって、人間らしさを保つ基盤でもあります。
私が目指しているのは、化粧が、電気・水道・ガスなどと並ぶ、社会インフラのひとつとして捉えてもらえる世の中です。さきほども述べたように、化粧をすると高齢者の方が「外に出て人と会いたくなる」ことにつながります。人との交流が「人間らしく生きる」ために必要なことだと思います。
震災の際、美容や化粧は二の次でした。その間に、仮設住宅などで孤独死になってしまう高齢者の方が出てきました。まず復旧させるのは電気・水道・ガスですが、その次くらいに「人と会いたくなる化粧」を位置づけることができたら、助け合うきっかけや生きる力につながると考えています。資生堂が掲げる「一瞬も一生も美しく」の実現はまさにそこにあります。そういう社会をつくっていくことが私の目標です。
池山さんからひとこと
高齢者の方が健康に生きるために大事なのは、自分らしく自信をもって生活することと、社会性や社交性です。鏡を見て自分と向き合い、キレイになれば人に見てもらいたくなります。それは美容の本業ですよね。施設にいる要介護度が高い方々は、施術や化粧療法で歩けるようにまではならないとしても、「人と会いたい、話したい」という前向きな気持ちになっていきます。「訪問美容は高齢者の方々の自分らしさを維持するサービス」と言えるくらい重要なことです。そうした意識と誇りをもってともに取り組んでいきましょう!
次号では、サロンに業務委託で勤務しながら、個人のユニットで訪問美容を続けるスタイリストさんの活動をご紹介する予定です。
Salon Data