イノベーターが
見ている未来
vol.23
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。
FLEAR
副社長
松谷 良輝さん (age.50)
トレンドスタイルの提案や髪の悩みに応える確かな技術が支持されている福岡のトップヘアサロン「FLEAR」。1号店立ち上げからサロンを支え、発展へと導いてきた人気スタイリスト・松谷さん。サロンが支持され続けてきたのは松谷さんのみならず、スタッフ一人ひとりが着実に才能を伸ばし、お客さまの要望に応えることができているから。その成長を後押しする、独自の教育プログラムについてうかがいます。
http://flear.co.jp/
第1章若くして才能を開花。年下店長として学んだこと
「17歳でスタイリスト、19歳で店長に。
若いころはいい気になっていました(笑)。」
松谷さんは美容師歴がもう30年以上になるんですよね。
僕は進学するよりも早く働きたかったから、中学卒業後に美容室で働きながら美容学校に通ったんですよ。当時は理容じゃなくて美容師を目指す男性なんてほんとに少なくて、美容学校の卒業時にいた男も僕ひとりだけというくらい珍しかった。でも当時通っていた理髪店のお兄さんが、「これからは男も美容師を目指す時代が来る」と話していたのが心に残っていて、美容師を選んだんです。
早くから始めたので、17歳のときにはスタイリストとしてデビューしていました。器用なんで、カットでもなんでも見ればすぐにコピーできちゃう。だから売上もどんどん伸びて、19歳で店長も任されたし、「僕より売上があるやつはいないんじゃないか」なんて考えるくらいいい気になっていた(笑)。10代のころは10軒くらい店を移っていて、店を変えるたびに給料も上がっていきました。
若くして店長になると大変そうですが…。
やはり、ちょっと難しい部分はありました。美容師ってプライドが高い人が多いと思うし、ましてや僕みたいな年下の店長があれこれ言うのは角が立つ。だから「お願い」する形をとってスタッフに動いてもらうしかなかった。僕は今も話すときは「誰が相手でも基本的に丁寧語」なんですが、それは若いうちに店長になったことから始まったものです。
店長としての心構えなんて誰も教えてくれなかったけど、ただ「自分が若手のころに嫌だったことはスタッフにもしない」と決めていました。10代のころは先輩からやられて嫌だったことを、ノートにびっしり書いて。それを見て、自分はこうならないように、と気を付けていましたね。
「FLEAR」で働き始めたのは?
僕が20歳のときに、当時から知り合いだった社長の西原が「FLEAR」を立ち上げて、1号店からそこで働くことになりました。株式会社化したのは25歳のとき。僕は中卒だからってのもあって「会社員」への憧れがありました。「会社員といったら株式会社だろう」と考えて、社長に法人化するように頼んだんです。当時は今より法人化する手続きがいろいろと面倒でしたが、僕が「FLEAR」を辞めないという条件で、社長がOKして進めてくれました。
当時、美容サロンが法人化するのは珍しかったのでは?
ほぼなかったと思います。僕は社会保険に加入してもう25年になるんだけど、美容師では最長じゃないかと自負しています(笑)。
現在も「FLEAR」は福利厚生や待遇にとても配慮されていますが、そのころから始まったんですね。
そのときどきの問題に対処するために、ひとつずつ制度を整えてきた感じです。たとえば女性は結婚・出産したら仕事と家庭のどちらも両立させたい人が多い。でも、働き続けたいのに子どもができたら辞める…という人も出てきて。だったら「パートでも働ける仕組みをつくろう」とかね。
男はやっぱり稼ぎが多いことにこだわる人が多いけど、店長になっても手当が付く程度であまり収入が増えないとなると、独立を考えるようになる。美容は教育産業なので、せっかく育てた人に辞められると会社にとっても痛手です。だから双方のメリットを考えて、うちでは店長になると店の売上から歩合で利益を配分するようにしていて。そうすれば店長は「店全体の売上が高くなるよう、後輩の教育もがんばる」という利点があります。
プレイヤーとしては年齢が上がると売上が減ってくる人もいます。そういう人をフォローするため、マネジメントを担当させたり、ブライダルやウィッグなど別部門を作ってそこで活躍してもらったりと、美容師以外の道も用意してきました。
うちは「稼げる環境」「将来に不安のない環境」を用意して、結果「辞めさせない仕組み」を整えることを大事にしています。だから採用するときも、「どうせ辞めるだろうし」なんて考えて余分な人数を採ったりはしません。話に聞くと、辞めることを見込んで予定の3倍とか採用するサロンもあるようですが。うちは「辞めないこと」を基本に考えています。
「成長し続ける」「未来が描ける」、
FLEARの“7年教育プログラム”とは?