イノベーターが
見ている未来
vol.28
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。
LECO
内田聡一郎さん (age.38)
「VeLO(ヴェロ)/vetica(ベチカ)」のトップディレクターとして名を馳せた内田さん。今春独立し、2018年3月に自身初のヘアサロンとなる「LECO(レコ)」をオープンするというニュースは業界内でも高い注目を集めています。なぜこのタイミングで独立を決意したのか?新店舗が目指すものとは…?新たなステージに立った内田さんに、これまでの道のりと現在の心境、未来への展望をうかがいます。
http://leco.tokyo/
内田聡一郎さんが出演した「BEATイベント動画」もチェック!
第1章「VeLO」との縁と、技術本位の考えになるまで
「“うわべだけじゃダメ”という原点に立ち返って
クリエイティブを磨き、スランプを乗り越えた。」
今回はご自身のサロンをオープンされるということで、ぜひお話をうかがいたくてお時間をいただきました。まずは内田さんのこれまでを振り返らせてもらいますが、高校卒業後に美容室で働きながら資格をとったんですよね。
そうです。地元の神奈川県横浜市にある美容室で、高校3年生の終わりからバイトを始めて、卒業後もそのまま勤めました。働きながら通信制の美容学校で学んで、春夏に2週間ずつ実際に学校で授業を受けるのを3年間続けて、21歳のときに資格を取りました。
資格を取った後、いったん美容師を辞めたそうですね。
高校卒業前、手に職系の仕事がいいと思って、服飾、調理、美容師…と考えたとき、当時は美容師がはやっていた時期でもあったので美容師を選んだんですよ。でも実際に資格勉強をしながら働いてみると、本当にこの道でいいのかなという迷いが出てきてしまった。資格を取るまではとりあえず続けようと決めて、美容師免許を取ってから数カ月で結局当時の店を辞めました。
それから2年弱は、創作料理店の調理手伝いをしたりとフリーターで過ごしました。でもまあこのままというわけにもいかないし、離れてみたけどやっぱり美容師をやろうと考えて。やるからには有名になりたいって願望もあったし、原宿で働きたかったので、とりあえず東京へ出ることにしました。
では勤め先のお店が決まる前に、東京で暮らし始めたんですか。
そう、それでいくつかのサロンを訪ねたんだけど、どこも受からないままで。そんなときに、髪を切ろうと思って雑誌で見つけたサロンに行ったんですね。それで雑誌で見た美容師さんを指名したら、その人が休みで。代わりに担当してくれたのが現在の「VeLO」ディレクターでありオーナー夫人である赤松さんだったんです。そんなことは知らないまま、髪を切ってもらいながら「僕も美容師になりたいんです」という話をしていたら、「実は今度独立して、夫婦で原宿に店を出すから来てみる?」と誘ってくれて。それが「VeLO」で働くことになったきっかけです。
そんな偶然というかご縁があったんですか!そのサロンで髪を切ってよかったですね(笑)。
ほんとですよね。その日もともと僕が指名した美容師さんに、休んでくれていたことを感謝したいくらい(笑)。それで「VeLO」で働き始めてみると、オーナーの鳥羽さんをはじめクリエイティブな職人系のサロン。当時の僕はクラブ好き、夜遊び好きなチャラい感じで。ヘアの方向性も一般誌でもてはやされるような、どちらかというと赤文字系の雑誌に興味があったので、異分子みたいな立ち位置でした。
カリキュラムも以前のサロンと比べると厳しく感じましたか?
厳しかったですね。僕は一応、前のサロンでスタイリスト経験もあったけれど、デビューまで3年かかりました。だから23歳で勤めたのでデビューは26歳。新卒のスタッフだとデビューまで通常でも7年くらいかかっていて、体育会系で少数精鋭という雰囲気でした。でも「これが東京かぁ」みたいな感じで、ネガティブにはとらえませんでしたね。
ではデビューまで順調に進んだほうなんですね。
デビューする前、ヘア&ファッション誌『CHOKiCHOKi(チョキチョキ)』の読者モデルになったのもあって順調でした。自分で言うのもなんですが神がかっていたというか(笑)、原宿を歩いたら声をかけられない日はないってくらい。アシスタントだったのにバンバン指名の電話もかかってきていて、「俺は普通とは違う」なんて天狗にもなっていました。
それでもデビューは認められず、オーナーは「まず技術で勝負できる美容師になれ」という意向があったんでしょう。自分でも技術を見直そうと思ってもう一度新たな気持ちで勉強に取り組んで、そうしてデビューを迎えました。
なるほど、では名実揃ったいいタイミングでデビューされたんですね。
26歳でデビューしたときは人気もあったし、技術を勉強したという自負もあったし自信がありました。デビュー後すぐに月間売上200万円くらいにいきましたしね。ところが、めちゃめちゃお客さんは来たけれど、リターンがほとんどなかったんです。僕を指名するのは「1回切ってもらえたらいいや」というお客さんばかりで、デビューから一定の期間を過ぎたら売上が伸びなくなりました。
同じころ、雑誌の撮影もハズしまくったんですよ。「ハズす」っていうのは、評価されなくて誌面の扱いが一番小さくなっちゃうことを言うんですけどね。読者モデルをしていた雑誌でも新しい世代がどんどん出てきて…。「これは自分、やばいぞ」って危機感におそわれた時期がありました。
それはどう乗り越えたんですか?
そのときもやっぱり技術に立ち返ったこと、原点回帰ですね。「VeLO」で常日頃言われてきたのが「うわべだけじゃダメだ」という職人気質の考え方。それで自分の色を出すために、コンサバ好きだった自分のスタイルにエッジをきかせるようにしていって。そうしたら業界誌でも高く評価してもらえるようになり、ますますクリエイティブにのめりこんで、楽しいと思えるようになっていきました。
業界の次世代リーダー・内田聡一郎。
新たな舞台「LECO」にかける想いとは?