イノベーターが
見ている未来
vol.34
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。
NORA HAIR SALON
代表取締役
広江一也さん (age.44)
天井が高い開放的な空間にアート作品が展示され、まるで美術ギャラリーを訪れたかのような気分になるヘアサロン「NORA(ノラ)」。デザイン性の高い技術面ではもちろん、そうしたユニークな試みでも注目を集めています。なぜ、業界の常識にとらわれない挑戦を続けてきたのか?その原点に迫ります。
http://www.nora-style.com/
第1章建設業から一転、美容師の道へ
「お金のないアシスタント時代から、
毎晩のように人に会っていました。」
広江さんはもともと、大手建設会社で働かれていたとか。そこからなぜ美容の道に?
建設会社は知り合いの紹介で働くことにしたんですが、やってみたら自分には面白いと感じられなくて。ちょうどバブルがはじけたころで業界の景気も悪くなっていくし、転職を考えました。それで、美容やファッションに興味があったので、美容学校に通うことに。建設会社は男だらけの世界だったから、真逆の世界に行きたくなったのもあります(笑)。
美容学校を卒業した後は東京のトップサロンにお勤めになりました。当時、そのサロンは相当な人気でしたよね。
そうですね。カリスマ美容師がいて、予約は1年待ち、サロンに来ても待つのは当たり前で何十人も店舗前に行列して…という、とんでもない時代。ドラマの影響で美容師ブームになって、美容師がタレント化していました。当時のサロンでは営業中の店内でCM撮影があったりとか、いろんな経験をしましたよ。
超人気サロンで、スタッフも200人ほどいるなかで広江さんはトップ10に入る売れっ子に。そこまでなった、自分の強みは何だと思いますか?
毎日、飲みに行ったことかな(笑)。スタッフとだったりお客さんとだったり、アシスタント時代から毎晩のように飲んでました。あるときは大人数ですごく飲んで、まだアシスタントで給料が安いのに「僕のおごりだ~」ってやっていたら、ひと晩の支払金額が給料の倍近くになっていて大変でした(笑)。でもそうやって人脈ができたことが、仕事につながったのかなと思います。
当時のトップサロンだと厳しかったりというような話もよく聞きますが、不満はありましたか?
それは特に感じなかったですね。面白い経験ができるし、上の人からどうこう言われることもなかったし。忙しくて大変ではあったけど、いい会社でしたよ。ただひとつ思ったのは、このままやっていても自分がマンネリ化するなぁってことですかね。
独立したのは勤めて10年、店長になってからは5年くらい経ったころ。そのころ、母親を事故で失いました。それで人生ってはかないものだな、悔いのないようにしようと思い立って。葬式から帰ってすぐに「辞める」と伝えたんです。
そして2007年、「NORA」をオープンされたんですね。当初のお店の規模は?
5人で始めて、セット面6面で28坪の広さでした。常にお客さんでいっぱいで、席もないからお客さんを立って待たせたり、外のテラスでカラーをしたり。このままじゃどうにもならないと思って、2009年に引っ越すことにしました。
移転先として見つけた物件は一気に広くなって74坪、家賃もなんと3倍に(笑)。人員も増やすから支出も増えるし、税理士さんには反対されてたんです。でも「いけるっしょ」なんて考えて決行しました。ところがやってみたらまぁ、地獄でした(笑)。そりゃそうですよね、売上が3倍になるわけじゃないですし。その後に2011年の震災の打撃もあって、お客さんはいっぱい来てくれているのに、しばらくはキャッシュに苦労するほど大変でした。
僕ってすぐムリするんですよ。『ドラゴンボール』に出てくるサイヤ人って頻死状態から復活するとパワーアップするんですけど、自分もそうだと思っているのでムリすることをためらわない。でも実際は、頻死になったらダメージを負っただけでした(笑)。
サロンを拠点に“人”がつながる。
「NORA」という名のプラットフォーム。