PEOPLE.09 小橋賢児 LeaR株式会社
代表取締役
何歳になったって変化できる。 セカンドキャリアの見つけ方。
Profileプロフィール
こはしけんじ●イベント企画などを行う「LeaR(リアル)株式会社」代表取締役。1979年、東京生まれ。8歳で芸能界デビューし、数々のドラマ、映画などに出演するも、2007年に27歳の若さで芸能活動を休止。世界各地を放浪した後、2009年に帰国。2012年にアメリカ横断の旅を描いた長編映画『DON’T STOP』で映画監督デビュー。世界最大級の音楽フェスティバル『ULTRA JAPAN(ウルトラ ジャパン)』日本版クリエイティブディレクター、未来型花火エンターテインメント『STAR ISLAND(スター アイランド)』総合プロデュースなども務める。
https://learinc.space/
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子供の頃は「これをやりたい」が行動理由のすべてだったはず。
千葉
(ホットペッパービューティーアカデミー・アカデミー長)
順調だった芸能活動を、27歳で突然休止したのはなぜですか?小橋
自分をごまかして生きていることに気づいたからですね。子供の頃は、誰でも自分の心の奥底から湧き上がってくる欲求に素直に従って行動できますよね。「これをやりたい」「こうしたい」っていう“want to”が行動理由のすべてだったと思うんです。もちろん僕もそうでした。
それが、大人になるにつれて、今の立場や将来を考えて行動が制限されちゃう部分ってあるでしょ。周りの期待にも応えなきゃいけないから、自分の欲求に素直になれない。そうすると人間って心を閉ざしちゃうんですよ。無意識に感情のスイッチを切って、自分をごまかして生きるようになるんです。
千葉
当時が、まさにそんな状態だったんですね。
小橋
自分ではそんなつもりはなかったんですよ。けどね、26歳のときに行ったネパールで、現地の人の素朴な暮らしぶりを見たからなのかな、突然心が開いちゃったんですよね。そうするともう大変でした。
自分が心の底に溜めていたストレスみたいなものが見えた気がして。それまではスイッチを切っていたから気づかなかった、いや、気づかないふりをしていたんです。それらに押しつぶされそうになったというか。
千葉
それでも、芸能活動を休止するのは大きな決断でしたよね。
小橋
いや、逃げるようにとりあえず生活する場所を変えただけなんです。当時は「もったいないよ」とか「よくそんな勇気あるね」って言われましたけど、もう切羽詰まっていました。「こんなの俺じゃない」「このままの生活は辛すぎる」って思いながら、嘘の自分を演じ続けるのが不可能になっちゃったんです。要は、苦しくて逃げ出しただけ。
千葉
当時は人気絶頂でした。その立場を捨てることに迷いは?
小橋
自分では、人気絶頂なんて思ったことがなかったんです。俳優を“やらされてる”って感覚が大きかったんですね。自分の魂が反応してやっている仕事なら手応えも実感できたんでしょうが、いつも本当の自分を隠して、取りつくろって生きていたので、それを他人から評価されてもピンとこなかった。だから迷いなんてありませんでした。
千葉
その後、海外に渡られたんですよね。
小橋
1年くらいアメリカにいて、その後は日本と世界各地を行ったり来たりする生活を合計で2年くらいしてたのかな。
千葉
世界最大級の音楽フェス『ULTRA MUSIC FESTIVAL』に出会ったのもその頃ですね。
小橋
そうです。車でアメリカ横断したときのゴールがマイアミだったんですが、そこで偶然『ULTRA MUSIC FESTIVAL』が開催されていました。国籍も性別も宗教も違う人たちが大勢集まって、音楽を媒介にして本当の自分をさらけ出せるフェスって素晴らしいなと思いましたね。そのあとも、いろいろな国の、いろいろなフェスを巡って旅しました。
千葉
帰国してからは、一気にイベントプロデューサーとしての道を突き進むわけですか?
小橋
そんなにうまくいきませんよ。世界中を旅することで、少しずつ自分の心は回復しました。ただ、一緒に変な自信もついちゃったのがまずかった(笑)。日本に帰ってきていろいろなことにチャレンジはしたんですが、どれもまったく実にならず、気がつけば30歳手前で貯金は底をつくありさま。金もない、仕事もない、当時付き合っていた彼女には三行半を突きつけられ、しまいには肝臓も壊して。2カ月間くらい、実家でほぼ寝たきりの状態でした。
千葉
その状況から、どうやって脱出したんですか?
小橋
落ちるところまで落ちたときは、「もうこのままでいいかな」とも考えました。病気を理由に、このまま実家に引きこもって生活することも頭をよぎりましたよ。でも、漠然と男は30歳からという想いがあったんです。このまま無気力なつまらない“オッサン”になっていくのか、ここからもう一度人生をスタートさせるのか。これ以上失うものもなかったので、後者を選んだんです。
「こうはなりたくない!」って反面教師をたくさん見てきたのがよかったんでしょうね。「まだ30歳なんだからゼロからやり直せばいい!」って開き直ったら、怖いものなんてなくなりました。