イノベーターが
見ている未来
vol.8
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。
株式会社リビアス
大西昌宏さん (age.50)
2015年、ニューヨークのトップヘアサロン「ウォーレン・トリコミ」の日本代理店として、業界の注目を一気に集めることとなった「株式会社リビアス」。大阪の1軒の理容室からスタートし、破竹の勢いで220軒以上もの店舗を展開するまでになった道のりは?代表取締役・大西さんの歩みと、成功のノウハウを探ります。
http://www.ribias.net/
第1章28歳で独立、目標は3ケタ出店。それを叶えた戦略
「とにかく、他社が断ることも積極的に引き受ける。
他がやらないということは、そこにチャンスがある。」
ご両親は理容室を経営されていたそうですね。やはり昔から理容師に憧れがあったのですか?
「理容師になりたい」というよりも、経営者になりたかったんです。大学卒業後、ある企業の内定をもらっていたのですが、どうも自分が会社員になるイメージができなかった。それで内定を辞退して、両親が経営する理容室に入りました。そのときは理容師免許もないですから、まずは免許を取得して。そして親の店で修業をして、3店舗のうち1軒を任されることに。順調に売り上げは伸びていき、もっと店を広げていきたいと思って28歳で独立しました。
ご両親のお店に入って5年後に独立して、ご自身の理容室をオープンさせた。そこがとても繁盛されたとか?
行列するほど繁盛しましたね。それは理容組合に属さなかったからだと思います。当時、地域の組合の店では定休日や販促に決まりがあって。うちは加盟していないから年中無休で営業したり、割引サービスをしたりといろいろな工夫ができました。夜は22時までオープンしていたので「あそこは夜遅くまでやっているぞ」と会社勤めの人が来てくれるようにもなり、だんだん評判が広まっていった感じですね。
ほかとは異なるサービスが評判を呼び、次々と店舗を開いていったということでしょうか。
独立当初から3ケタの出店を目標にしていて、32歳くらいまでには5店舗はオープンしたいと考えていました。ところがそうそう出店できないんですね。お金がかかるし、人集めも大変だし。それで方針転換を考えました。それまでは内装にお金がかかっていたのですが、居抜き店舗を使うことで初期投資を抑えることに。1店舗あたり3~5人くらいでまわす、小さな店舗にしました。1店舗の売上を高めるのではなく、店舗の数を増やして全体の利益を上げることにしたんです。それでもしばらくは資金繰りに苦労しました。
現在はさまざまな業態で220店舗以上を展開されています。いくら初期投資を減らしたとしても、なかなかたどり着けない数ですよね。一気に店舗数が伸びたタイミングはありましたか?
2000年頃に起きた「スーパー銭湯ブーム」が追い風になりました。「スーパー銭湯の中にカットサロンを出さないか」と話が来たんです。相手の希望は、手頃な1000円カットで、銭湯に合わせて年中無休の9時~21時オープンというもの。きっとみんなに断られて、もともと年中無休のサロンをやっていたうちに話がまわってきたんでしょう(笑)。大変そうだとは思いましたが、チャンスだととらえて引き受けることにしました。
スーパー銭湯は全国各地にどんどん増え、それにつれてうちの店舗も増えていきました。スタッフを集めるのには苦労しましたね。たとえお客さんが来なくても銭湯がオープンしている限り、こっちの店もスタッフを揃えて開店していなくちゃならないわけです。当時はすでに引退していた両親を引っ張り出したり、他店のスタッフを連れて行ったり…。各地の店舗にどうにか人員を補充しました。でもそうして無理やりにでも対応しているのでお客さんのロスはなく、認知されるにつれて売上も伸びていきました。
次の転機は、理容室ではなく「女性の顔そり専門店」をオープンされた時かと思います。このレディースシェービングを始めたきっかけは?
スーパー銭湯内の理容室は順調でしたが、出店ラッシュはいつか止まります。何か次の手はないかと考えていました。そんなとき銭湯内にある理容室の売上を見ていると、6割がカットで残り4割を女性の顔そりが占めている。それで「レディースシェービング専門店を出せばいける!」とひらめいたんです。
顔そりというのは、一般的には理容師がいるお店、つまり理容室でやってもらうものですよね?
はい。でも女性は、理容師がいない美容室に通うことが多い。また顔そりをするために、いつもは行かない理容室で化粧を落とすことに抵抗を感じる方も多い。銭湯なら化粧をとるので、気軽に顔そりができたのでしょうね。「ここに需要が隠れている」と思い、2004年にレディースシェービング専門店「ビューティーフェイス」の1号店をオープンしました。
狙いはあたりましたか?
小さなショッピングセンター内に開いた1号店は、初月から黒字でした。でもその後は売上が落ち込んでいきました。お客さんの要望と、店が提供するものがマッチしていなかったのです。スタッフは女性の理容師を揃えたのですが、理容室出身のせいか対応がそっけない。でもお客さんの女性はきれいになりたくてエステ感覚で来るので、もう少しゆったり過ごしたいと思っているんですね。そこで、「エステティシャン見習い」という職種で募集をしました。美に対して意識が高い女性をアシスタントにしてお客さんの応対をさせつつ、理容師免許を取ってもらって。そして免許取得後、顔そりも任せることにしたのです。
そうして改善をするうちに出店の依頼がいろんな商業施設から舞い込みました。人員確保のためスタッフ育成をすることはもちろん、休眠していた女性理容師からの応募もあって助かりました。そのときに、理容師を辞めていて、「また働きたいけれど理容室はもういやだな」と考える人が意外と多くいることがわかりました。
一代で220店舗展開、そしてウォーレン・トリコミ出店。
すべては、「社員が長く活躍できる場をつくる」ために。