イノベーターが
見ている未来
vol.19
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。
Jill&Lovers/株式会社ワールド
神宮麻実さん (age.33)
ネイルクイーン受賞タレントをはじめ、多くの芸能人からも支持を集めるネイリスト・神宮麻実さん。現在もネイリストとして活躍しながら、23歳で立ち上げた1店舗目を皮切りに現在は3店舗にまで拡大した人気ネイルサロン「Jill&Lovers」の経営も手がけています。プレイヤーとしてだけでなく、サロンオーナーとしても成功するのは簡単ではありません。スタッフを抱えることで変化したというご自身の考え方や、オーナーとして大切にしている想いをうかがいながら、経営の秘訣を探ります。
http://jillandlovers.jp/
第1章予約殺到の状況に悩み、退職へ
「退職を惜しむお客さまの声で、初めて自分の存在価値を感じた。
それで、開業を決意したんです。」
神宮さんは美容師の専門学校と並行してネイルのスクールにも通ったそうですね。卒業後はネイリストとして勤務されたとのことですが、「美容師じゃなくてネイリストになる」と決心したのはいつごろでしたか?
小学生のときだったと思いますが、TV番組でネイリストの作品を見てとても感動して。中学生になるとちょうどギャルブームの時代で、つけ爪に色を塗って学校にしていったり、友達にネイルチップを作ってプレゼントしたりするように。そのころからネイリストっていいなとは考えていました。高校の卒業が近づいて進路を考えたときも、ネイルくらいしか思い浮かばなかったんですが、先生からは「将来性がない」と心配されて。それならってことで、周りにいた仲のいい友達に美容師を目指す子が多かったこともあり、美容専門学校に進学することにしたんです。ちょうどカリスマ美容師ブームでもありましたし、ファッション関係が好きだったこともありますしね。
ヘアの美容専門学校とネイルの学校、ダブルで勉強されていたんですよね?
美容専門学校は週5日ありました。その中でもうちのクラスは特に担任の先生が厳しくて、ほかのクラスからは「軍隊」といわれていたくらい(笑)。携帯電話が鳴ったら没収、忘れ物をしたら廊下の雑巾がけ往復20回、みたいな感じで。時間的にも内容的にも大変でしたが、その厳しい先生からも「ちゃんと結果を出すならいい」とOKをもらい。学校のない土日や夜間に週1~2日、ネイルスクールに通っていました。
美容師の学校はそれだけ厳しいと脱落者も出そうですね。
それが、ほかのクラスでは辞めてしまう子もいましたが、うちのクラスは誰も辞めなかったんですよ。しっかり学ぶことができたので、クラス対抗のコンクールで優勝したりとみんな成績がよくて。厳しいだけに、たまにほめられると嬉しくて励みにもなりました。美容師の技術だけじゃなくて、社会人として身に付けるべき生活態度も教えていただけたことは、卒業後にとても役立ちました。美容師の新人時代は大変だなんてよく聞くけれど、同級生と「学校より全然ましだよね」なんて話したことも。学生のときは厳しくていやになることもありましたけど、卒業して働き出してから先生の教えのありがたさを実感しました。
卒業後の就職先として、ネイルサロンではなくヘアサロンを選んだのはなぜでしょう。
美容師の専門学校の成績が学年1位になったことで、「美容師として極めたい」と思うようになったのが理由のひとつです。そして北千住のヘアサロンを就職先に選んだのは、技術の高さと、当時のギャルブームで人気を集めていて自分も通っていたほど好きなサロンだったから。でも内定をいただいた後、一度は就職を辞退しているんです。
内定後、まだ専門学生のときに研修でその北千住のヘアサロンで働いてみたら「やっぱり私がやりたいのは美容師じゃない、ネイルだ」と思ってしまって…。それで就職をお断りしたんですが、それ以降も客としては通っていたんですね。そんなある日、ネイルをやりたいというお客さまが来店されて、「神宮さんネイルできたよね?じゃあうちでやればいいじゃん」ってオーナーさんが声をかけてくれたんです。それで結局はネイリストとして、就職予定だったヘアサロンで働き始めました。
今から10年ほど前の当時、ヘアサロンにネイル専門スタッフとして勤めるのは珍しいですね。お客さまは最初から集まりましたか?
やはりネイルをやりにくるお客さまは少数派でした。でもそれなら、空いた時間は「アシスタントのプロになろう!」と思って。受付からパーマやヘアカラーの準備など率先してスタイリストさんのサポートをして、誰からも頼りにされるアシスタントを目指しました。そしてお客さまとお話する機会ができたらネイルの売り込みをして…という感じでした。
転機は勤めてから1年後くらいに、雑誌のネイルを担当させてもらったこと。当時勤めていたヘアサロンは芸能人のお客さまも通っていたり雑誌撮影のヘアを担当したりしていた関係で、私にもチャンスがもらえたんです。それで名前が売れて、さらに1年ほど経った22歳くらいには、アシスタントをする余裕がないほどネイルのお客さまを受け入れる状況になりました。
そのころにはスタイリストと同じくらいの売上があったそうですね。
トップスタイリストほどではないですが、ちょうどネイルが世間に広まっていた時代でもあり、売上もどんどん上がっていきました。予約待ちも多くなってしまい、「もうひとりじゃ手がまわらない、これではお店にも迷惑をかけてしまう」という想いがつのり、「退職させてください」とオーナーに伝えたんです。
それは独立して、自分のネイルサロンを開くつもりで辞めることにしたんですか。
いえ、最初はサロンを開く計画はなくて「中途半端にしかお客さまを受けられないくらいなら辞めてしまおう」と。それでしばらく海外に留学しようと考えていました。私は家庭環境があまりよくなかったこともあって、両親の別居後は金銭的にも苦労したんですね。だから学生時代から将来のためにコツコツ貯金をしていたので、それを留学資金にあてるつもりだったんです。
ところがいざ辞める時期が近づいてお客さまにお伝えすると、多くの方たちが私の退職を惜しんでくれたんです。その姿を目にして初めて、「こんなに求められていたんだ」って自分の存在価値に気づかされました。そして「辞めてどうするの?どこかでお店やるの?」と心配してくださるお客さまに、思わず「自分のサロンをやります」って宣言したことがサロンを立ち上げるきっかけでした。
予約が取れないほどお客さまがいたのに、自分に価値があるとは思わなかったんですか。
確かにお客さまはたくさんいらっしゃいましたが、「ヘアのついでにネイルも」という程度なのかなと思っていて。だから辞めるとお伝えしたときのお客さまの反響には驚いたし、本当に嬉しかったですね。
それで急きょサロンを開くことになり、1月に退職してから物件探しを始めて、物件を決めたのが2月下旬。オープンは「女の子の日である3月3日のひなまつりがいい!」と決めていたので、大忙しでした。渋谷の物件は保証金だけでも驚くような大金でしたが、留学費用にするつもりだった全財産をはたいて、何とか無事にオープンを迎えました。
スタッフを、ネイリストを“高み”に連れていく。
カリスマサロンの若きリーダー、次なる挑戦は?