イノベーターが
見ている未来

vol.15

確固たる世界観を持ち、新しい取り組みをしている「次世代リーダー」へのインタビュー。
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。

LIM
統括ディレクター

カンタロウさん (age.41)

「業界をよくしたいって言うなら、まずお前が変われよ」と。
一人ひとりが本気で考えなきゃ、業界なんて変わらない。

東京・大阪にヘアをはじめネイル、アイラッシュ、ヘッドスパサロンなどを展開する「LESS IS MORE(LIM)」。シンガポールに4店舗、ロンドンに1店舗と海外進出も果たし、現在は国内外で計17店舗。カンタロウさんは2013年に「LIM」を退社・独立しましたが、現在も同社の店舗ブランディングや人材育成を担当する統括ディレクターを務めています。独立後も「LIM」の仕事を手がけつつ、セミナー講師など「カンタロウ」個人としても活躍。そんな「美容師としての新しいあり方」に至った、道のりと想いをうかがいます。

1975年、福岡県生まれ。高校卒業後に美容師を目指して大阪へ。1年ほど勤めたのち、当時は大阪でヘアサロン2店舗を展開していた「LIM」へ転職。たちまち売れっ子スタイリストに。25歳より同社の人材育成や店舗ブランディングといった経営部門にも携わる。2006年の東京進出、2009年のシンガポール進出を軌道にのせた。また2014年のロンドン出店の指揮を執るなど、「LIM」独立以降も外部委託の統括ディレクターとして、同社の発展をサポート。
http://www.lessismore.co.jp/

第1章人気スタイリストから経営陣へ

「人が辞めてしまうのなら、その原因を探る。
“自分なら何があれば残るか”を考えるだけ。」

美容師を目指した理由は、何だったのでしょう?

高校3年の冬まで部活のラグビーをやっていたので、卒業後の進路を正直あまり考えていなくて。福岡の実家が明太子屋だから食にまつわる料理関係か、自分が興味のある美容・ファッション関係という選択肢が浮かびました。それで当時の彼女がたまたま美容師だったから、「じゃあ自分もやってみるか」っていうふざけた理由なんですよ(笑)。

でも当時は今のようにネットで情報を集めることもできないから、どこがいいとかわからない。「とりあえず地元よりは都会で働こう」と、大阪の求人情報を調べて「未経験OKで給料もいいサロン」を選んで。勤め先のサロンに教わった通信教育で美容師免許の取得を目指しつつ、働き始めたんです。

付き合っていた彼女は地元に残っていたので離ればなれに。当時は「30歳くらいまでは修業して力を身につけて、それから地元に帰って結婚して、自分のサロンを開こう」なんて考えていたから、今みたいな自分の姿はまったく想像していませんでしたね。

「修業」とは、ストイックな考え方ですね。

はい、まさに「修業」という意識でしたね。何かやると決めたら、グーッと突き進むタイプなんです。だけど「一流になってやろう!」って意気込みで働き始めたものの、一年経つころには美容師に失望した感じになってしまって。勤めたサロンの先輩たちは、自分にとっては正直憧れる感じの美容師ではなかったというか・・・。美容師としての基礎は学べたけれど、「自分はもっと自由でかっこいい、クリエイティブなスタイルをやりたい」という思いがつのっていきました。

「もう美容師を辞めようかな」と考えていたとき、転機になったのが「LIM」のヘアショーを見たこと。美容師仲間が「お前は才能があると思うから、辞めるなんてもったいない。こういう世界もあるんだぞ」って連れて行ってくれたんです。それが本当にかっこよくて「これだ!」って。すぐ「LIM」に働かせてくださいと面接に行って、転職することになりました。

実際に「LIM」に移り、それまでいたサロンとの違いを感じましたか?

いやもう、違うことだらけですよ。最初に「LIM」と出会ったヘアショーというのは“たまにある晴れ舞台”だから、前にいたサロンの“日常”と違うのは当たり前ですよね。でもそれだけじゃなくて、普段のサロンワークからして違う。前のサロンではお客さんに言われた通りにやる、という感じ。だけど「LIM」では美容師がプロとして、ときにはお客さんの希望とは異なる提案をして、「よりよいものにしよう」という姿勢がありました。

こういう「LIM」の姿こそ、自分が求めていた美容師像。前のサロンにいた一年間はなかったものと考えて、またイチから学びなおそうと。そして「LIM」入社から3年後、23歳でスタイリストデビューを迎えました。

そのころは、いわゆる「カリスマ美容師ブーム」ですね。

当時のサロンにも「売れっ子スタイリスト」の先輩がいて、25歳くらいでかなり売上をあげている方が何人もいました。ブームにのって、関西の人気サロンを紹介するヘアスタイル雑誌も出てきたころ。自分も「スタイリストデビュー祝いに」って、ヘア雑誌に載せるスタイリングを任せてもらいました。ミルクティー色のヘアカラーリングに、ピンパーマのスタイル。そしたらそれがものすごいヒットして。「あのスタイリングをやった美容師に頼みたい」という電話が、サロンにジャンジャンかかってくるようになったんです。それが、美容師人生の転機になりました。

デビューしてすぐ、人気スタイリストとしての道を歩み始めたんですね。

そんな日々が2年ほど続き、25歳くらいのときに先輩が次々と独立していきました。気づけば自分が最年長のスタイリストで、強制的に他のスタッフのまとめ役に押し上げられて。店の帳簿をチェックする立場にもなったんですが、帳簿をちょっと見ただけでも「このままじゃ経営がヤバいな」という状況がわかりました。

経営の勉強をしていたわけではないのに、いきなり経理のことがわかるのは、すごいですね。

そんな難しい話じゃないんですよ。人気スタイリストの先輩が独立したから売上は激減している、でも家賃や材料費とか経費はかかるし、残ったスタッフへの給料もある。単純な引き算で、経営のことを何も知らなくても「ヤバい」ってわかるくらいだったんです(笑)。

「あの先輩がいたら、これだけ売上あったのに・・・」なんて考えるうちに、「じゃあ人が辞めないサロンにすればいいんだ」と思って。辞める理由って、たいてい“自由”と“報酬”の2つなんです。

まず“自由”っていうのは、「こんな材料を使いたい」「こんな勤務形態がいい」というようなものです。たとえば「ある程度の経験を積んだら自分の好きなように働きたい」「雇われ感があるのが嫌だ」という思い。この2つの原因を取り除こうと考えました。

次に“報酬”の面。対策を考える場合、会社とスタッフの双方に利益があることが前提です。そこで「10年プラン」というのを用意しました。10年勤めて月150万円の売上が出せるようになったら、資金は会社負担で自分のやりたいサロンを出店できるというものです。報酬もそれまでの「固定給プラス歩合」から、新店舗の売上から経費を引いた“利益”を会社と折半する形に。さらに5年間、順調に運営できたらサロンもスタッフもそのまま譲り渡すという「独立支援制度」でもあります。

10年勤めるというのは、アシスタント3年、ジュニアスタイリスト2年、そしてスタイリストとして下のスタッフを育てて会社に貢献する期間が5年。こういう将来設計が見えれば、人は簡単には辞めていかない。それも会社にとってプラスになります。

すばらしい仕組みですが、アイデアの源泉は?何か経営の本を読んだりとか?

うーん、特別に勉強しているわけじゃなくて。みんな自然に思いつくんじゃない?・・・なんて言ったら、ちょっと嫌な感じか(笑)。考え方はシンプルで「自分だったらどう思うか、どうしたいか」というのが出発点。人が辞めてしまうのならその原因を探って、「自分ならどういう環境であれば残るか」を考える。そこから一つひとつ、つぶしていくんです。あ、つぶすというのは「叶えていく」っていう意味で。

  • 写真は小学生時代のカンタロウさん(左)と、お父さん(右)。実家である明太子屋さんは、北九州市で1969年創業の「寿々屋」。本来は2代目を継ぐ立場だったが、「自分のやりたいことをやれ」という父親の言葉を受けて、美容師の世界へ飛び込んだ

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