イノベーターが
見ている未来

vol.16

確固たる世界観を持ち、新しい取り組みをしている「次世代リーダー」へのインタビュー。
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。

ビームズグループ
代表取締役社長

坂之上勇次さん (age.39)

東海地域だけにこだわり、目指すは10年後に100店舗。
地域創生を可能にする、独自の「アメーバ出店」とは?

おもに東海エリアの名古屋、岐阜、滋賀でヘア、ネイル、アイラッシュ、リラクゼーションといった美容サロンを40店舗以上も展開するビームズグループ。その成長を支えるのは、同グループの中核企業の代表取締役社長を務める坂之上さん。30歳で社長に就任して以降、「アメーバ出店」という独自の出店方式で多角経営に乗り出し、右肩上がりで事業を拡大。いち美容師だった彼の経営手腕は、どのようにして育まれたのか?そして多彩なアイデアから描かれる、美容サロンの未来図とは?美容業界からの注目度も急上昇中である、坂之上さんの思考に迫ります。

1977年、岐阜県生まれ。高校卒業後、イギリス・ロンドンに渡り「ヴィダルサスーンアカデミー」にて美容師技術を修得。帰国後は都内ヘアサロンの勤務を経て、2003年より父親が経営するヘアサロン「Bee-ms HAIR(ビームズヘアー)」グループに参画。名古屋エリアでは1号店となるヘアサロンを立ち上げる。30歳のときに2代目社長に就任。参画当時は1業態2店舗だったが、経営の多角化を推し進め、アイラッシュやネイルなど6業態43店舗へと急成長させた。2016年7月には、既存店舗に併設する形でフェイシャルケア専門サロンを6店舗同時オープンするなど、今後も新規事業を続々と企画中。
http://www.bee-ms.com/

第1章経営を学ぶきっかけをくれた大きな挫折

「出店が成功したと思ったらスタッフの大半が退職。
そこで初めて、経営を学ぼうと必死になりました。」

取材におじゃました「AVANAIL PREMIUM(アバネイル プレミアム)」。大きなガラス窓に面したソファ席から若宮大通公園の緑が見渡せる

お父さまが美容室を経営されていて、坂之上さんは高校卒業後、日本の専門学校ではなく、イギリスで学ばれたんですね。

ロンドンにある「ヴィダルサスーンアカデミー」に入学しました。サスーンではウィッグをほとんど使わず、学生のうちからモデルさんのカット・カラーをして学ぶスタイル。半年間学んで、卒業後はアシスタント期間もなくサスーンのサロンでスタイリストとしてお客さまを担当します。そうして2年半くらい、ロンドンで働きました。

ところが帰国後に都内のヘアサロンに勤めたら、またシャンプーからやり直し。イギリスと日本ではシャンプーのやり方が違うこともあって、シャンプーに合格するのにも3カ月くらいかかりました(笑)。僕はイギリスで経験があったのでカットに入ってからスタイリストデビューまでは早かったけど、一般的にはデビューまで3年を目標にしているでしょう?それがとても衝撃的だったし不思議でした。この経験、ギャップが現在の教育システムの基になっています。

それがビームズのスピード教育につながっているんですね。話が戻りますが、最初に就職した都内のサロンから、岐阜のお父さまの会社へ転身したきっかけは?

当時、岐阜で美容室チェーンを展開していた父親が、名古屋への進出を計画していました。その計画を聞いた母親から、「絶対ムリだから、帰ってきて手伝ってくれ」と懇願されまして。僕自身も父親の夢を叶える手伝いがしたいと思って、地元へ戻ることに。そして名古屋市の中心地から少し離れた、藤が丘のサロンの立ち上げから担当しました。

藤が丘のサロンは順調に?

新店舗立ち上げは2003年、僕が26歳のときです。当時は低価格の縮毛矯正サロンがあちこちにできていて流行っていたけれど、質のよくないサロンで髪を痛めたという人も多くいました。その受け皿になろうと思い、僕が出店したのは「トリートメントを売りにしたヘアサロン」。そうしたら狙いが大当たりして。スタッフ7人、約20坪のサロンで、初月から600名ほどのお客さまが来ました。それで気をよくして、半年後に名古屋駅前に2店舗目、そこも大繁盛したのでさらに1年後には3店舗目を出店することにしました。

でもそうして調子にのっていたら、1店舗目のスタッフ全員、2店舗もほぼすべてのスタッフが「辞める」と言い出したんです。まぁ、いま考えたらそれも当たり前で、当時の僕はスタッフ教育といっても「見て覚えろ」の昔ながらのスタイル。しかも20時閉店で24時まで終礼をして、それから掃除を終えたら深夜2時、なのに翌朝は7時には出勤・・・なんてことをしていましたから。

それは当時のサロンのなかでも、だいぶ厳しい労働環境では?

そうですね。でも僕自身は「プロとしてお客さまに喜ばれるためには、これくらい当然だ」と思っていたので、スタッフとのモチベーションのギャップがすごかったんですよね。そのときの自分はそれに気づけなかったし、「辞めたいなら辞めろ」なんて言って強気でした。とはいえ辞めないだろう・・・とタカをくくっていたら、ほんとに辞めてしまった。結果的に残ったのは1店に3人とかで、それでも2~3カ月先まで予約が埋まっていて、僕は1日60人くらいのお客さまを担当しなければいけない。とにかくまわさなきゃいけないから、カットは1人2分くらいで、仕上げもカウンセリングもできない。ひたすら「僕を信じて任せてください」っていう言葉と、謝罪の言葉をくりかえしていました。そのときのお客さまの8割が、いまも来てくださっています。本当にありがたいことですよね。
  

そんな経験があったとは、いまの経営手腕からは想像できませんね。

この経験が僕の転機のひとつですね。経営・人ってものを学ばなければいけないと気づいて、そこから経営関係の書籍を読みあさりました。なかでも「経営とは人である」という松下幸之助さんの言葉には感銘を受け、彼の書籍は全部読みましたね。

あとは組織化している全国の大型サロンを見学させてもらいました。お会いして話を聞いて学んで、そういった出会いが自分を変えてくれた。名古屋にサロンを立ち上げた当時は、「3店舗うまくいったら十分。東京にまた戻ってプレイヤーとして生きていこう」と考えていたんですが、いろんな経営者の方と出会ううちに「自分もこうなりたい」と拡大志向をもつようになったんです。

そうして学んでから始めたことは?

「経営計画ってものを作らねばならないんだな」と知って、準備を始めました。それまでは計画書なんて存在していなくて、感覚とイメージで進めるどんぶり勘定。会社にお金がいくらあるのかもわかってなかったんです。ひどいときは顧問の会計士さんから、「銀行の残高が2万円しかないけど、支払いどうするんですか?」って。驚くでしょ?あんなにお客さまがあふれかえっていて深夜まで必死に働いて、売上だってあるのに、どういうこと!?って、ほんと信じられなかったですよ。僕はこれを「通帳残高2万円事件」って呼んでるんですけど(笑)。

そのころは内装費、材料費もそうだし、調子にのってとにかくお金を使いすぎていました。でもこれで「売上じゃない、きちんと計画して利益を追求しなきゃいけないんだ」と気づきまして。顧問の会計事務所のセミナーを受講して、10年間にわたる「経営計画書」をつくりました。これが父親から会社を引き継いで2代目社長になった、30歳のときです。

  • 100ページほどの冊子にまとめた「経営計画書」を毎年作成して社員へ配布。経営理念やその年の目標、坂之上さんが感銘を受けた著名人の言葉などがまとめられている。経営にうとい新人でも読みやすい内容を心がけている

  • ヘア・ネイル・アイラッシュ・リラクゼーションのスクール事業も展開。ヴィダルサスーンで修業を積んで帰国したとき、日本の美容学校制度やサロンの教育に疑問を感じ「教育から変えていこう」と決意。ヘアは入社して7カ月、ネイルは3カ月でデビューできる仕組みをつくった

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