イノベーターが
見ている未来
vol.24
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。
Hair salon peace
代表
モテ髪師 大悟さん (age.39)
独自の診断法による「モテ髪」プロデュースにより、「彼に担当してもらうと彼氏ができる」との評判が広まった「モテ髪師」大悟さん。全国区のTV出演を機にその知名度は一気に爆発して、いまや予約困難な美容師のひとりに数えられています。なぜ「モテ髪師」を名乗るに至ったのか?モテ髪をプロデュースすることに込めた想いとは?美容業界はもちろん世の女性たちからも熱い注目を集める、大悟さんにお話をうかがいました。
http://www.motegamishi.net/index.html
第1章職場脱走から売上トップへの道のり
「耐え切れずに1店目を逃げ出した過去から、
2店目では“トップになるまで辞めない”と決意。」
大悟さんはいつごろから美容師を目指したのでしょう?
高校は進学校に通っていたので大学を目指す同級生が多かったんですね。でも僕は「大学に行ってどうするんだろう?」という迷いがありました。そんなとき、中学のときから用がなくても遊びに行って仲間のたまり場にしていた理容室のオーナーから、「進路に迷っているならうちで働けば?」と誘われて。その店はTシャツ・Gパンで働くお兄さん2人で営業しているかっこいい理容室で、自分もおしゃれは好きだし、仕事に誘われたことが大人から認めてもらったようで嬉しくて、その気になったんです。
ところがうちの父親は新聞社勤めのお堅い人間で大反対。土下座して頼んだところ、「いきなり就職じゃなく、せめて美容学校に行くのなら」と認めてもらいました。
専門学校の卒業後は神奈川県のサロンにお勤めになったんですよね。
美容学校時代にヘアショーのモデルをした縁で知り合ったんですが、理容も美容もある会社ということで就職先に選びました。そこは会社の寮があって、1部屋に2~3人で住む相部屋。1年生に与えられたのは2段ベッドの上段だけ!「僕のスペースこれだけ!?」と、とてもショックでした(笑)。それがどうしても嫌で、実は2カ月で辞めてしまったんです。
辞めた後は地元が同じ先輩の家に居候しながら、原宿のサロンを飛び込みで訪ねて就職活動。でも門前払いばかりで、それが3カ月くらい続いたかな…。仲間はみんな美容師として勉強しているのに、自分は何をやっているんだろうと切なくなって。このままじゃ仕方ないので、福岡に帰ることにしたんです。
それから改めて美容室に入店されてますね。美容師を辞めようとは思わなかったのですか。
反対していた親にタンカを切ってまで上京したのに、辞めて帰ってきたままじゃカッコ悪いじゃないですか。だから決意したんです。そのころ書いていた日記には、「トップに成り上がるまで辞めない」「楽しくないなら楽しめるように工夫する」「初任給で親にプレゼントを買う」なんて書いていましたね。
福岡の就職先は、店に泊まり込んで「1カ月集中合宿」とかがあるような厳しい店。上司にもすごい怒られたけど必死でくらいついて技術を覚えました。それで2年後にはスタイリストデビューして、その半年後には新店舗のチーフに、1年後の23歳になる年には本店の店長を任されて。それからはずっと売上1位を達成し続けていました。
それはすごいですね。でも若くして店長になると、スタッフを指揮するのが難しそうです。どんな店長さんでした?
人の使い方がわからなかったので、コーチングの本を読んだりしました。読書は父親の影響もあって昔から好きだったので、いまもビジネス書からマンガまでよく読みます。
僕は美容室って接客業だと思っているので、スタッフがお客さまと適当な会話をしていたら、めちゃくちゃ怒っていました。たとえば「今からどこ行くんですか?」とか聞くのは、そのお客さまのことを考えているのではなくて、ただの「場つなぎ」の会話だと思うんです。
接客を重視するようになったのは店長になってからの経験が元。僕より技術が上手な先輩スタッフがいたんですが、その人にはお客さまがつかなかったんですね。それで「お客さまには、美容師歴5年と10年の技術の差ってわからないんだな」と気づいたんです。もちろん技術はあって当たり前ですが、お客さまは単に髪を切りに来ているんじゃなくて、気分転換に来ているんだなって。それからは接客や会話を重視して、心理学のテクニックも使って売上を高めていきました。
順調に力をつけていって、結果として独立を考えたのでしょうか。
そもそもは独立するつもりはなくて、オーナーと一緒に店を大きくしていこうと考えていました。ですが僕が27歳のとき、父親が他界して自分の人生を見つめ直すように。「自分はどんな人生を送りたいんだろう?売上はずっとナンバーワンなのに給料は少ない、本当にそれでいいのか?」と。それで独立を決意しました。
店は辞めたもののお金はない。それで出資者を探したところ、800万円を出資するという知人が見つかったんです。僕は勤めていたときに次々とお客さまをカットすることに疑問を感じて、サロンを開くならマンツーマン型にしようと決めていました。そんな小さな店なのに800万円も資金ができた。みんなと同じことをしても勝てないんだから、どうせなら変わった店にしよう。そう考えて、カフェの一角に2席だけ美容室スペースがある店をオープンしました。
人とは違った方法で勝ちにいこうとしたわけですね。結果は…?
それが大失敗(笑)。こりゃダメだ、ということでリニューアルを考えて。カフェをやめて美容室だけにするか、それとも店長を変えるか…なんて思案していました。ところがいろいろなことがあって、出資者から言われたのは「お前が降りろ」と。結局僕はその店から手を引きましたが、もろもろの保証人は僕になっていたんです。だからどんどん請求がやってくる。でも払えない…借金が膨らんでいって、どうにもならなくて民事再生のお世話になりました。
店を辞めるとき、お客さまには「1年後には新店を出す」とお伝えしていました。だから大変な状況でしたが、約束を果たすためにお金を貯めることに。日中は面貸しサロンで、夜22時から翌朝まではウエイターとして働く日々が始まりました。
昼も夜も働いていたら休む暇がありませんね!
ほぼないですよね、寝る時間がない日もあったし。それまでは店長としてチヤホヤされていたのに、ウエイターをしていた店では年下のクソガキから注意される(笑)。でもそれも、「ガマンすることを覚える」いい機会になったと思います。
そんな生活を1年間ほど続けて体はボロボロになりつつも、2008年に福岡・薬院の裏通りにある家賃5万円のアパートの1室に「PEACE」1号店をオープンしました。30歳のときです。
予約殺到の「モテ髪師」が描く
「モテ」の先にあるものとは?