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美容業界に関する情報・調査を集めた「Beauty総研」サイトに過去掲載されていたインタビュー記事をご紹介いたします。

ネイルサロン領域

2013.11.08

日本にネイルが普及していなかった1970年代。米国で年齢を重ねても華やかに装い、ネイルを楽しむ女性たちと出会ったことから、ネイルを日本で広めることを決意した仲宗根幸子さん。以来、日本におけるネイリストの先駆者として、ネイル教育の第一人者として活躍してきた仲宗根さんに、ネイル業界の現状と未来をうかがいました。

PROFILE

仲宗根幸子

仲宗根幸子 なかそね・さちこ
NSJネイルアカデミー院長、ネイルズ仲宗根株式会社代表取締役社長、NPO法人日本ネイリスト協会副理事長及び教育委員会委員長、公益法人日本ネイリスト検定試験センター理事
日本におけるネイリストの先駆者、育成歴は37年に及び、つねにネイル業界の第一線で教育一筋に活躍。1976~89年まで米国スーパーネイル日本校の代表講師として勤務。1989年NSJネイルアカデミーを創立。1996年ネイルズ仲宗根株式会社を設立。NPO法人日本ネイリスト協会では
15年間講師会会長を務め、認定講師の教育にあたる。
現在は、副理事長、教育委員会委員長ほか、コンテスト全国大会実行委員長も兼務。また、国内コンテストをはじめWINBA、IBSニューヨークなど米国ネイルコンテストの審査員や、国内9カ所で審査委員長(日本最多)も務めている。

|第2章|人材育成のためのスクール運営とサロン経営

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野嶋 米国でのネイルとの出会いのあとはどうされたのでしょう?

仲宗根 私が米国で使い方を覚えたマニキュアマシンがあったんですが、同じメーカーのドライヤーを扱っていた日本の美容機器メーカーがあったんです。
そこで、そのマニキュアマシンが輸入できることを確認し、その会社にインストラクターとして採用してもらいました。
ネイルは当時、マニキュアとして美容学校で教えられていましたが、甘皮を切って塗るだけといった単純なものでした。美容院のメニューにはあったものの、やる人はほとんどいなかったんですね。
そこで、アメリカンネイルを美容師さんに教えれば、お客様にも広まると考え、美容院で臨店講習をしたんです。営業が終わったあとに機材一式を持ってデモンストレーションをして、取り入れたいといってもらえたら、マシンを購入したサービスとして技術を教えるわけですね。これでかなり売れまして、1ヶ月に1000万円ほどの売り上げがありました。

野嶋 それはすごいですね。

仲宗根 そうしたなかで、85年に日本ネイリスト協会(JNA)が設立され、ネイル事業の方は3年ほどは好調でした。
でも、なかなか根づかず下火になっていって、会社的にも苦しくなり、ネイル事業部を撤退することになりました。この時、ハードよりもソフトが先だ、商品があっても必要性がなければ売れないんだということに気づき、まずは人を育てようと、スクール一本で独立することにしたんです。

野嶋 人材育成、教育ですね。スクールにはサロンも併設されていましたが、先生のなかでは、サロン経営はどういう位置づけなのでしょうか。

仲宗根 まず、スクールが大前提ですね。私にとってサロン経営は難しい立ち位置で、卒業生が多数のサロンに就職したり独立したりするなかでは、どこに出店しようとしてもライバルになってしまうんですよね。ですから、代々木上原にスクールがあった当時は、ネイルサロンが1店もなかった下北沢に出店しました。
自分の名前でサロンを展開すれば、多くのお客様が来てくださるかもしれません。でも、私は人を育てるために、ネイルを広めるために仕事をしているのであって、人の仕事を奪うことになっては意に反してしまいます。

野嶋 ネイルを広めようと決意した米国での思いが、スクール運営、サロン経営の土台にもなっているんですね。

仲宗根 それはずっと、ブレずにありますね。ただ、実際にサロンを経営してみないと、今、何が求められているのかといったビジネス的な視点が持てないので、今でもスクールにはサロンを併設しています。

野嶋 経営を教えるためのサロンということですね。

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