先輩女性インタビュー
サロンで働く先輩女性たち
長く活躍しているさまざまな女性スタッフに、どんなキャリアを歩んできたのかインタビューしていきます。
自分なりの「なりたい私」を見つけてください!
vol.101
売上120万円のチーフから2児のママパートに。
二度の退職を乗り越えて追う新たな夢とは?
札幌と苫小牧に9店舗を展開する美容室「Urun」。大規模なショッピングモールの中にある「平岡店」は、若者からファミリーまで幅広い年齢層のお客さまが訪れる、活気ある店舗です。ふたりの男の子を育てながらママパートとして活躍する柴田美穂さんは、10年前にここでチーフを務めていたスタイリスト。順風満帆だったキャリアを妊娠と体調不良で中断し、美容師を諦めかけたこともありましたが、二度に渡って職場復帰。今は新たな「理想のスタイリスト像」を求めて、イキイキとハサミを取っています。その原動力になったものは何でしょうか?柴田さんの歩みについてお話を伺いました。
Staff Data
柴田美穂さん 36歳
スタイリスト。「Urun平岡店」勤務。美容師歴16年。
5歳と2歳の男の子のママ。
水曜日・日曜日休み、9:30〜15:30のパート勤務。
柴田さんのLife History
★…ターニングポイント
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18歳
理容師の父親の影響を受けて育ち、「手に職を付けなさい」と母親に助言されて美容師を志す。高校を卒業して、北海道理容美容専門学校に入学。
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20歳
専門学校を卒業して「うちや美容室」に入社し、「Urun平岡店」でアシスタントに。5名の同期と毎日夜遅くまで技術練習に励む。
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22歳
憧れの存在となる現在のマネージャーの入社。
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24歳
スタイリストデビュー。嬉しかった半面、繁盛店のためお客さまをこなすだけで精一杯になり、ジレンマを感じることも。技術を上げてその状況を乗り越えようと、さらに練習に励んだ。
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26歳
チーフに昇格。責任は重くなったが、認められたことが自信になり「結果を残すためにもっと頑張ろう」という気持ちになった。
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27歳
会社がパリのサロン「FRANCK PROVOST」と提携。北海道1号店の「円山店」にオープニングスタッフとして参加し、チーフに就任。翌年はパリ研修にも派遣される。
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29歳
同じスタイリストの夫と社内結婚。独身時代と同じように仕事を続け、将来子どもができても変わらず働こうと考えていた。
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30歳
第一子を妊娠、つわりが重く仕事を続けられない状況に。約4カ月休職したが回復せず「会社に迷惑をかけたくない」と自分から退職した。
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31歳
★長男を出産し、「働きたい」という気持ちも戻る。会社からも何度も復帰を勧められ、長男が10カ月になった時に週5日・10:00〜16:00のパートとして「FRANCK PROVOST円山店」に復帰。
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32歳
職場復帰して1年余りで第二子を妊娠。再び体調が悪く、長男の世話もあるためやむなく退職した。翌年次男を出産。
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34歳~
実家の近くに引っ越し、長男と次男を保育園に預けてパートとして「平岡店」に復帰。1年半働くうちに、以前担当したお客さまの指名も増えてきた。
柴田さんへのインタビュー
Q. 第一線でバリバリ働いていながら、退職したのはなぜですか?
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A. 妊娠して体調が悪く、働けない自分に落ち込んでしまったんです。
独身時代にチーフに抜擢され、翌年「FRANCK PROVOST」のオープニングスタッフになった頃は、月に200名ほど担当して技術で100万円以上は売上ていました。それに加えて雑誌の撮影や、会社のポスターでもモデルさんのヘアメイクをしたり、パリ研修にも行かせてもらったり。あまり休みは取れませんでしたが、本当に仕事が楽しい時期でした。結婚した時は、妊娠しても大きなお腹で働いて、早めに仕事復帰するつもりでした。そういう先輩がいたので、自分もやる気満々だったんです。
でも長男を授かった時は毎日点滴を打つほど体調が悪く、とてもサロンに立てる状態ではありませんでした。会社は「体調が良くなったら復帰すればいい」と休職にしてくれましたが、3、4カ月経っても具合は悪いまま。先が見えなくなり「これ以上迷惑はかけられない」と考え、自分から申し出て会社を辞めさせてもらったんです。それまでバリバリ働いていたのに急に仕事ができなくなり、人生で一番落ち込みました。一時は「美容師はもうできないのではないか」と思い詰めたほどでした。
Q. 再びサロンで働く意欲が戻ってきたきっかけは何ですか?
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A. 会社に何度も復帰を勧められ、恩返しをしようと考えたからです。
出産して再び働くことを考えた時は、同じ美容でもまつげエクステに進む道や、他の職業も視野に入れていました。元の会社に戻るのか、別の会社に移るのかなど、本当に悩みました。でもその間も、社長やマネージャーが何度も「待っているからね」と声を掛けてくれて、本当にありがたかった。体調で辞めざるを得なかったショックが大きくて戻る勇気がなかったんですが、温かい言葉をいただいて元気が出てきました。そして、新人の頃からお世話になってきた会社で、上司や先輩に恩返しをしたいと思ったのが、復帰を決心した理由です。
パートで復帰して改めて感じたのが、「本当にこの職業を選んでよかった」ということ。技術を活かしてお客さまの希望を叶えて、喜んでいただける。しかも仕事をしている最中にたくさんお話ができる。他の仕事にはあまりないことで、おしゃべり好きな私にとっては美容師の仕事の魅力なんです。悩んで戻ってきたことで、自分にとても合っている仕事だと再確認できました。
Q. 子育てしながら美容師として働くことのご苦労は?
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A. 子どもの病気が大変ですが、周囲の理解に支えられています。
一度目は長男を無認可保育所に預け、10:00〜16:00のパートで復帰しました。技術が戻るか不安だったので、店にお願いして最初はサポート業務から始めさせてもらい、徐々に勘を取り戻して行きました。でも最初の3カ月くらいは、子どもの急な発熱が続いたりなどで、ほとんど働けなかったんです。他のスタッフは「今は仕方がないよ」「大丈夫だよ」と理解してくれましたが、本当にこんな状態で働いていいものかと悩みましたね。迷った時に救いになったのは、子どもを授かってお客さまとの会話や関係性が変わったこと。子育ての話が弾み、応援していただけるようになり、出産して良かったと心から思いました。また仕事と育児の両立については、アシスタントの頃から目標にしてきたマネージャーを始めとするお手本がいるので、情報交換しながら働けました。
パートで1年頑張りましたが、ふたり目を授かった時にも体調が悪くなり、再び辞めることに。もう本当に次はないと思いましたが、また会社に「戻って」と言われて救われました。ふたりの子どもを預けて、新人時代と同じ「平岡店」に復帰したのが1年半前。技術的なブランクもほぼ取り戻せました。まだ仕事を休むこともありますが、今は働ける喜びの方が大きいです。
Q. ママになった自分は、どこが変わったと思いますか?
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A. 時間の使い方が上手くなり、暮らしも仕事も丁寧になりました。
子どもができて一番変わったのは、仕事も生活もきちんと両立できるようになったことです。バリバリ働いていた頃の家は人に見せられない有り様でしたが(笑)今は掃除も洗濯も大好き。まるで「自分がもうひとりいる」ぐらい日々働いていますが、それが全然苦ではないんです。きっと時間の使い方が上手くなって、毎日を無駄なく過ごせるようになったからですね。仕事でもそうです。今は練習で技術を磨く時間が取れませんが、その代わり手が空いたら先輩たちの技術を真剣に見て盗もうとしています。またネットを使って、ヘアスタイルの流行などを情報収集しています。昔は日々無我夢中すぎてそんなことはしていませんでしたから、今の方が視野を広げるチャンスかもしれませんね。
今後は勤務時間を徐々に延ばして、時短社員から正社員になり、再び役職を目指したいです。そして私にとっての先輩がそうであるように、後輩に憧れてもらえる美容師になりたいですね。
若手女性スタッフへ、メッセージをお願いします!
美容師の資格を持っているというのは、実は凄いことだと思うんです。たとえブランクがあっても、また自分の技術で仕事に戻ることができるんですから。過去一緒に働いたことがある仲間にも美容師を辞めてしまった人がいますが、本当にもったいない。業界も少しずつ変わってきて、一度仕事をお休みした女性が戻りやすい環境を整えている会社は、ここ以外にもたくさんあります。ですから子どもを産んでも遠慮なく仕事を続けて欲しいですね。どこにいても「私は美容師です」と胸を張り、仕事をしていける自信を持ってください。これからは私のように、美容師が天職と思える方がどんどん増えて欲しいと思っています。
Salon Data
Urun【うらん】平岡店
- アクセス
- JR千歳線新札幌駅から車で13分 イオンモール札幌平岡1F
- 創業年
- 1935年 ※有限会社うちや美容室
- 店舗数
- 18店舗 ※グループ全体
- 設備
- セット面13席
- スタッフ数
- 12名(スタイリスト8名、アシスタント3名、レセプション1名)