イノベーターが
見ている未来
vol.26
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。
株式会社Ash
吉原直樹さん (age.61)
31歳で美容師免許を取得して即、独立開業を果たしたという異色の経歴を持つ美容サロン「Ash(アッシュ)」代表の吉原さん。スタートこそ遅かったものの、その後は破竹の勢いで業績を拡大。Ashの他にも合わせてサロン約300店舗を抱える美容グループは現在、業界屈指の業績にまで成長しています。美容メーカー勤務・美容室の現場と経営の経験がある吉原さんだからこそ見えている、企業が持続的に成長するために必要なこと、そして美容業界の未来予想をうかがいました。
http://ash-hair.com/
※吉原さん著書
・『吉原直樹の視点2017-美容業界を成長に導く次の一手-』(国際商業出版)
https://www.kokusaishogyo.co.jp/book/
・『サロン経営の基本』(髪書房)
http://www.kamishobo.co.jp/archives/book/foundations_salonmanagement
・『「世界で戦える日本」をつくる新発想』(幻冬舎)
https://www.gentosha-mc.com/product/9784344996175/
吉原さんの「オンライン動画」3本も必見。画面をクリック!
第1章31歳で美容師に。遅咲きのスタート
「メーカー、美容師を経験したから見えた、
業界の課題解決のために開業しました。」
吉原さんは28歳で美容学校に入学し、31歳で美容師免許取得という珍しい経歴をお持ちです。前職では美容機器の営業を担当されていたんですよね。
大学卒業後は4年間、美容機器のセールスを担当していました。人気サロンから新興サロンまで担当をするうち、美容業界が抱える課題や、美容業の素晴らしさを肌で感じたんです。そのときに知り合った美容室チェーンの方から、「美容室のサロンマネージャーとして来ないか?」と誘われまして。それで27歳のときに転職しました。
美容室で働くようになって「美容師」という職に惹かれたと同時に、美容師資格を持たない自分がマネージャーとして指導してもなかなかスタッフが動いてくれないという思いが・・・。「それなら自分がなろう」ということで美容師を目指すことに。そのとき28歳で1歳の子どももいましたが、マネージャーとして働きながら2年間、通信制の学校で学びました。卒業後にインターンとして働いて、31歳のときに国家試験に合格したという流れです。
その後、独立してサロン開業を決意した理由は?
美容メーカーのセールスマン、サロンマネージャー、現場の美容師という3つの立場を経験してきたことで、美容業界の問題点が見えたことがきっかけのひとつ。調子がいいと店を広げられるけど、会社の体力が落ちてくると創業メンバーは独立し、あるいは力を付けた店長も独立して、人材不足におちいってしまう。こうした美容室が抱える課題を解決することが、業界をよくするためには必要です。そのために自分で会社を立ち上げようと決意しました。
最初に開いたサロンはどんなお店だったのでしょう。
第1号店は横浜の下町の商店街。1階に駄菓子屋さんがあって、狭い階段を上った2階部分に10坪の店を構えました。設備は全部中古品で、保証金も入れてかかった開店資金は400万円ほど。これからバブルに突入するという景気のいい時代でしたから、立地もよくてきれいな店舗も多くできていましたが、当時の私にはこれで精いっぱいでした。
商店街にある、庶民的なお店からスタートしたんですね。
オープン時は社長とはいえ免許取り立てで技術もなく、立地にも恵まれていません。「ここから勝ち上がっていくにはどうしたらいいだろう」とまず考えました。お客さまは地域のお母さんたちが中心で、技術ももちろんですが納得感のある値段も大事です。そこで「品質は高く、値段は安く」というコンセプトを設定。スタッフの技術教育に力を注いだおかげで、地域でも優秀な技術者がいると評判になりました。
2店舗目以降の出店も順調に進みましたか?
最初は1年で1店舗のペースで、3年目には3店舗目を開業していました。でも4店、5店と広げていくなら、もうひとつ何か強みが必要です。安さが売りのお店だけでなく、高単価の店舗を展開するにはどうすればいいんだろう。それがわからなかったので、当時評判が高かったサロンのオーナーに相談しました。その答えはシンプルで「内装や設備にお金をかけて、立地もよくすればいいんだよ」というものでした。
それまでの自分はまじめに技術や接客を磨くことにだけ力を入れていて、演出というものを考えていませんでした。とはいえ演出するために内装業者に依頼するお金もないので、最初は家具店をまわってアンティーク家具などを揃えたりバーカウンターをレセプション代わりにしたりと、自分たちで揃えたんですよ。立地もそれまでは裏道や2階以上のフロアなど家賃の安さで決めていましたが、露出度の高い表通りや新築を選んで、利便性やラグジュアリー感を押し出すことに。高くても納得してもらえる店づくりをして、客単価を4000円から6000円へと上げてもお客さまが来てくれるようになりました。こうして10店舗くらいまで徐々に増やしていったんです。
旗艦ブランドである「Ash(アッシュ)」も、そのころにできたものでしょうか。
これは、ある支店のオーナーが名付けたのが始まりなんです。最初のころは、その店の店長が自由に店名を決めていました。初の1階店舗となった店が「Ash」という店名で、半年で売上1000万を超え、年商1億円を稼いだんです。それで、運が強いブランドを継承していこうということで、Ashブランドの店をその後も展開していきました。
たった一代でグループ300店舗、売上170億円。
この先にある「100年ブランド」実現のために。