先輩女性インタビュー
サロンで働く先輩女性たち
長く活躍しているさまざまな女性スタッフに、どんなキャリアを歩んできたのかインタビューしていきます。
自分なりの「なりたい私」を見つけてください!
vol.85
2児のママパートから3年で店長に!
店長として殻を破れた「気づき」とは?
愛知県蒲郡市のショッピングセンター内にある「Ai-ney」は、地域で愛される小さなサロン。そこに流れる柔らかな空気は、店長の清原さんの人柄そのもののようです。ふたりの育児中にパートとして入社し数年で店長、さらに地域マネージャーに昇格。周囲の信頼を勝ち得た理由は、店舗を良くするために自分を変えようとした姿勢でした。「美容師の母に育てられ、当たり前すぎて気付かなかった美容の仕事の面白さ。それをここで知りました」。そう微笑む清原さんの道のりをうかがいました。
Staff Data
清原佳保里さん 40歳
スタイリスト、「Ai-ney」バロー蒲郡店(愛知県蒲郡市)店長。
スタイリスト歴17年。
14歳の女の子と12歳の男の子のママ。
9:00〜19:00、月6日休みの正社員として勤務。
清原さんのLife History
★…ターニングポイント
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18歳
美容師として働く母親の姿を見て育ち、ごく自然に同じ道を志して、美容専門学校へ入学。
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19歳
専門学校を卒業。将来は母親が自宅で営むサロンで働くことを考えて、修業のために地元の別のサロンに就職した。
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22歳
少しずつカットを任されてきたころ、パーマ液での手荒れが重症化して仕事を2カ月休む。復職したかったが、元のサロンにはすでにスタッフの空きがなく、他へ移ることになった。
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23歳
再び練習を積んで学生カットから始めたが、職場になじめなかった。結婚を機に3社目のサロンへ移り、パートで勤務。伸び伸びと仕事ができる環境の中でスタイリストに昇格した。
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26歳
第1子を妊娠。親と同居して実家のサロンで働くことに決め、妊娠8カ月で退職した。出産して2カ月経つ前に、長女の世話を親に頼んで仕事を再開。
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28歳
長男を出産。長女のときと同じように、早くからサロンで仕事を始めた。
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32歳
母親と感情的にぶつかることが多くなり実家を出る。子どもを保育園に預けて「Ai-ney」に入社し、「アクト店(当時)」で15:00まで・週末休のパートとして働き始める。後に勤務時間を増やして準社員に。
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34歳
★当時指名の多かった店長が妊活で退社。「失客を防ぐにはどうしたら良いか」を初めて真剣に考えることが、美容師として大きく成長するきっかけになった。
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35歳
社長から「ぜひ店長をやってくれないか」と打診される。自分の仕事が認められたことが嬉しく、快諾した。
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36歳
「豊橋AFFE店(当時)」へ異動。9:00〜19:00のフルタイムで働く正社員になる。スタッフがなかなか定着せず、店長として悩んだことも。
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39歳~
現在の「バロー蒲郡店」へ異動し、エリアマネージャーに昇格。多くのお客さまと信頼できるスタッフに恵まれ、仕事に充実を感じている。
清原さんへのインタビュー
Q. お母様と同じ美容師を目指しましたが、実際に働き始めて感じたことは?
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A. 辛くはありませんでしたが、最初は「仕事」と割り切っていました。
母を見て育ったので、職業といえば美容師以外考えられませんでした。母が自分のサロンを持つ夢に私も乗り、一緒に働くつもりでした。学校を卒業して他のサロンに就職したのも、外で修業を積むためです。でも決して練習熱心ではなく、休みの日は学ぶより遊びたいアシスタントでしたね。割と早くからカットをやらせてもらったのに、当時は仕事と割り切っていました。先生の技術を忠実に真似はしていましたが、教わるままにやっていた感じです。でも年配のお客さまが多いサロンで、見守ってくれる視線は温かかったですね。
あるときパーマ液が原因で、手が化膿してしまって。治療で2カ月休んだために退職しなければならなくなりました。2社目の勤務先は肌が合わず転職。結婚してパートで勤めた3社目のサロンは自由な風土で、最終的に長女の出産まで3年間働きました。短期間に店を移ったものの、アシスタント時代から美容の仕事自体が辛かったことは一度もありません。母の働きぶりを見慣れていたせいか「こういうものだ」と思って苦になりませんでした。
Q. 2回の出産を経てもほぼブランクがありませんが、育児と仕事をどう両立しましたか?
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A. 親や夫のサポートのお陰で、常にサロンワークを大事にすることができました。
長女も長男も親と同居で出産。当時は職場も母の店だったので、実家に子どもを預けてすぐ仕事に復帰できました。母が主に子どもの面倒を見て、私がメインでサロンを切り盛りさせてもらえました。
ところが数年後、私が母と仲違いし、親子で実家を出たんです。衣食住に仕事まで一緒では互いの距離が近すぎました。幸い子どもが保育園に入れていたので、新しい職場を探し、勤務時間や休みが選べて働きやすい「Ai-ney」に入社したんです。当初は1日6時間で土日を休む育児中心の働き方。予約を入れずフリーのお客さまだけを担当させてもらえたので安心でした。でも母と仲直りし、再び子どもの世話を頼めるようになってからは、予約を入れて週末も出勤。いつの間にかフルタイムに近い働き方になっていました(笑)。
夫はサラリーマンですが、美容師が土日になかなか休めないのを理解しています。私が仕事の日は子どもと良く遊んでくれる。私は一度も周りから「休めないの?」「早く帰れないの?」と言われたことがない。家族が支えてくれるお陰で、自由に仕事ができて凄く恵まれています。
Q. パートで入社して3年で店長へ。短期間で認められた理由は何でしょうか?
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A. 今の会社で、本当の美容師としての自覚が芽生えたからだと思います。
接客業であるにもかかわらず、私は人見知りな方でした。でも「Ai-ney」に来て多くの常連さまとふれあい、徐々に自分の考えが伝えられるようになったんです。そこで本当の意味で、お客さま一人ひとりの「キレイ」を追求するようになりました。
入社して2年ほど経ったころ、当時の店長が妊活のため退社しました。指名の多かった人なので、多くのお客さまがお店を替えてしまうかもしれません。そこで、どうしたら常連の方に安心して来ていただけるかをかなり考えました。お客さまを惹きつけるのは美容の技術だけではないことを実感し、一歩踏み込んだ接客を心がけました。美容師としての今の自分の枠組みができる、きっかけの出来事だったと思います。ですから翌年店長に指名されたときは、この会社はしてきたことを認めてくれるんだと感じました。「やりたい!頑張ろう」と素直に喜びましたね。
Q. 店長として苦労したこと、そして今のやり甲斐とは何ですか?
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A. スタッフの離職に悩みましたが、努力は認められることも知りました。
前の店でスタッフが次々と辞めていった時期は悩みました。自分がどう変われば人がついてくるかを考えるうち、人に対する興味を強く持つほど、人からも受け入れられることに気付いたんです。私はそこが淡泊だったんですね。リーダーが自ら変わる努力をすれば、周りが認めてくれ、その繰り返しが組織に良い連鎖を生むことも学びました。今の店ではスタッフに恵まれ、お客さまも順調。自分がアシスタントをするときも含めると、1日に10人は接客しています。今はエリアマネージャーとして、サロンの広告企画も任されています。構成から考えて、イメージ通りにできたときはとても嬉しいですね。
子どもたちは今も下校後に実家で過ごし、退勤した私が迎えに行って帰宅する毎日です。土日はほぼ仕事で母親らしいことができませんが、休みの日だけは下校時間に家にいて、迎えてあげるようにしています。
若手女性スタッフへ、メッセージをお願いします!
美容師はまだ職人に近い業種で、収入も決して高いとは言えない仕事です。単にお金が欲しくて働いていると「同期のお友達よりもお給料が少ない」と焦ることもあるでしょう。でも若いときは先のことを考えるより、そのときの生活を大切にしながら、何事も頑張ってやり抜く時期。今できることをやって周りに評価され、認められて初めて本当に自分のやりたいことが見えてくる。その先にかなえたい未来がやってくるのかなと思います。どうか頑張ってください!
Salon Data
Ai-ney【アイニー】バロー蒲郡店
- アクセス
- JR東海道本線蒲郡駅から徒歩20分
- 創業年
- 1988年
- 店舗数
- 20店舗
- 設備
- セット面5席(バロー蒲郡店)
- スタッフ数
- 7名(スタイリスト5名、アシスタント2名 バロー蒲郡店)