ヘアサロン領域
2013.09.09
原宿・表参道・銀座に5店舗。激戦エリアで新規オープンが続くapish。ヘアデザインの提案だけではなく、近年は、女性スタッフが長く働きやすいサロンとしてセミナーや業界誌の取材が引きも切らない。現在5人のママ美容師が活躍するapish。スタッフが生き生きと働けるサロンについて、代表の坂巻さんにお話を伺いました。
PROFILE
坂巻 哲也
1998年10月「apish」設立。2001年9月移転拡張オープン。 2006年12月「apish Rita」設立。2009年9月には表参道に「apish jeno」を設立。2011年11月には銀座に「apish ginZa」を設立。2013年7月には銀座に女性スタイリストだけの「apish cherie」をオープン。店舗数5店舗、スタッフ数87名に。サロンワークを中心に、ヘアショー、TV出演、撮影、講習会と、幅広い活動を展開中。 (2013年取材当時の情報です。)
|第1章|自分が稼ぎスタッフを愛せば 何とかなると思っていたサロン創業期
野嶋 今日はよろしくおねがいします。今回は、apishさんが考えられる「女性が生き生きと働ける環境づくり」というテーマについてお伺いしたいと思います。
女性スタッフさんが長く生き生きと働ける環境というのは、今後美容業界が発展していくためには欠かせない課題だと感じています。apishさんでは、出産後もサロンで働き続ける女性が多いと伺いました。
坂巻 うちは今年で15周年なのですが、最初は7名でスタートしたんです。そのときは女性が4名、男性が3名。そのころからずっと男女比は半々できています。
僕たちの仕事は、男性的な感性と女性的な感性、両方が必要なんですよね。例えば撮影ひとつとっても、女性には女性ならではの服の選び方やメイクのしかた、ヘアスタイルの作り方があります。男性だけのセンスでは、男性ウケのいいスタイルはいいですが、幅広いデザインは作れません。両方の感覚が必要だという気持ちは以前からありました。
若いうちは勢いとノリだけでサロンを経営していた時期もありました。そんななか、スタッフの女性に子どもができたんです。近所には親戚がいなくて、託児所に預ける経費も厳しい状況でしたが、せっかく身につけた技術を無駄にさせたくない。その当時は、ポケットマネーでそのスタッフの託児の費用を半分出していたんですよね。
野嶋 過去にはそんな歴史があったんですね。
坂巻 当時は有限会社で個人サロンだったので、自分が稼いでスタッフを愛せばサロンは成立すると思っていたんです。経営が苦手な経営者でしたね(笑)。
けれども、スタッフが50人、70人になってきたら、個人のそのような感覚だけではサロンを経営していけないことに気づきはじめたんです。そんなとき、今は僕の右腕として経営を引っ張ってくれている網野一廣に「僕はずっと現役で美容師をやっていきたい」と伝えたところ、網野に「このまま坂巻さんが第一線でサロンに立ちながら、50人の人生を抱えていくのは難しいのでは?」と言われ、それからは網野がサロンの中でのシステムづくりや、数字面を全面的に引っ張っていってくれることになりました。
スタッフが長く勤められるサロンであるようにと、会社として仕組みにしていったのは、網野が経営をサポートしてくれるようになってからですね。それが6年前くらいかな。
野嶋 具体的にはどのような仕組みづくりをされたのでしょうか?
坂巻 ある一定年数サロンで働いたスタッフには育児休暇や託児所の半額負担、のれんわけや独立支援などのサポートをしています。
今後働いていくスタッフには、apishでの4つの道を提示しました。ひとつは、これは全くオススメしていないのですが、独立してapishとは縁が切れてしまう道。もうひとつは、apishの卒業支援を受けてフランチャイズサロンを作る道。3つめはサロンの経営者になる道。いま、apishには3つの会社があり、6人の経営者がいます。そして最後はうちの堀江昌樹などがそれにあたるのですが、取締役でありながらapishのブランドデザイナーとしてアーティストとして生きていく道。