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「ほぼ日」の外にいる通行人をつかまえられないといけない。
千葉
「ほぼ日の學校」での、糸井さんの立ち位置を教えてください。
糸井
あえて名前をつけるならば、プロデューサーかな。ほぼ日としては社長でもありつつ…。社内の打合せで、トップダウンの要素がゼロだと、いつまでも話し合いが終わらないこともありますよね。これ以上、話してもしょうがない時は「悪いけど独断で決めるね」と言います。もっと話したい時は、個別にやりとりする。僕の一番大きい仕事は、「みんなに考えてもらう」ことです。
千葉
ちなみに、「ほぼ日の學校」を視聴しているのは、どんな方が多いですか?
糸井
今はまだ、もともと「ほぼ日」のお客さまだった方が多いです。ありがたいんですよ、本当に。みんな的確なことを言ってくれますし。でも、「ほぼ日」の外にいる通行人をつかまえられるようにならないといけないな、と思っています。
千葉
僕もその一人ですが、「ほぼ日」は長年のファンが多いですもんね。
今後の構想は?糸井
たとえば、化粧品という狭いジャンルにしぼったYouTubeにファンが300万人いても、不思議じゃない。その数を、多いと思うか、少ないと思うか。実現したい世界は?と聞かれたら…狭い世界をほじくったあとの、もう一歩“外側”の景色を見てみたい。
昔、映画監督の伊丹十三さんに話を聞いたことがあって。“『お葬式(1984年公開)』という映画は、もともと僕の映画を観にきていた人と、そのまわりのフチにいる人たちが喜んでくれた。今度つくる『マルサの女(1987年公開)』は、その外側にいるドーナツ部分の人にも観てほしい。だから、映画のつくり方を変える。ドーナツの真ん中にいたお客さんは「これは違う」、と言うかもしれない。でも、その小さい丸の中にいると永遠にそこが気持ちよくなってしまう。だから、ドーナツの外側に行きたいんだよ”と。それを聞いて、ものすごく感動したんです。
その意識がないと、会社に対しても「この商品売れているし、この規模でずっと…」となってしまう。小さいところをほじくった数字は、“途中経過”だと思わないといけないなぁ…と。だから、そのうち「學校」自体が変化しているかも。「學校って言ってるけど、違うじゃん」と言われても、全然かまわない。そのあたりに、僕も知らない“何か”がある。
カタチが描けないビジョンだから、伝えるのが難しいんですけど…。数でもないし、「あの時、言ってたのって、これだったんだ!」って、言ってる自分がビジョンかな。
1,000万人集まったとしても、半年後にいなくなっている1,000万人であれば意味がない。いろいろ聞きたがっている人が、来年も聞きたがってくれるか。それが、実力ってものだと思います。