Special Interview
美容業界が描く「女性活躍」のカタチ
GINZA
松本平太郎美容室
取締役社長 松本俊一さん
1966年に創業し、昨年、50周年を迎えた松本平太郎美容室。吉祥寺からはじまり、現在は銀座に5店舗を構えるなど、首都圏に18店舗を展開するサロングループに成長。多くのママスタイリストが活躍していることでも注目を集めています。20年以上前にママ美容師の雇用を経験し、早くからそのメリットに気付いたという取締役社長・松本俊一さん。女性が働き続けるための取り組みを、創業者から引き継いだ想いや歴史とともにお伺いしました。
創業者であり、現在、会長を務める父・松本平太郎氏の後を継ぎ、社長に就任。大学在学時よりアルバイトとして同社の経理を手伝いはじめ、卒業後に入社。続々と店舗数を拡大する中で、労務管理などを含め経営全般に携わってきた。店舗に足を運ぶことも多く、平太郎氏の意志を引き継ぎ、社員が安心して長く働くことのできる環境づくりに力を入れている。
女性活躍支援の取り組み
- 女性管理職の登用(役員11名中、5名が女性)
- 産休時の顧客引き継ぎによる失客防止
- 復職時に雇用形態・ポジションの選択が可能
- 産休・育休による欠員をグループ全体でフォロー
- 子供手当ての支給
- ママスタッフへの周囲の理解を促進
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産休・育休による欠員をグループ全体でフォロー
複数のスタッフが産休・育休に入り、店舗のスタッフ数が足りなくなった場合は、他店舗のスタッフがヘルプに入ったり、異動したりしてフォロー。ヘルプや異動の手当(月々2万円程度)を支給することでスムーズに進められる体制を取っている。現在、立川店では2名のスタッフが産休を控えているため、他店からスタッフが異動。グループ全体でフォローすることにより、店舗の負担を軽減。結果、産休・育休を取りやすい風土となっている。
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子供手当ての支給
月々、5千円〜6万円(ポジション、勤続年数、お子さんの年齢により違いあり)を子供のいるスタッフに支給。創業者である会長・松本平太郎氏が考えた制度で、「子供の教育をしっかりとして、次の世代につなげていかなくてはならない」という想いが込められている。
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ママスタッフへの周囲の理解を促進
「子供の発熱など、急な休みはみんなでフォローする」というトップの想いがスタッフに浸透。時短勤務などによるスタッフ間の摩擦は少ないが、店長が男性の店舗へは女性役員が訪問して、ママスタッフに困っていることがないか聞く等のケアをしている。現在、浦安店ではスタイリスト7名中、3名がママスタッフ。若手スタッフへは、先輩スタッフが率先してママスタッフをフォローしたり、声を掛けたりする姿勢を示すことで理解を深めている。
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Q
早くから、女性が活躍するための制度づくりに取り組まれています。
きっかけはどのようなことでしょうか? -
A
創業者である父の教育方針と、
ママ美容師の活躍を目の当たりにしたことでした。
女性に自立して生きてほしいというのが
娘へ、そして女性社員への父の想いでした。
私には妹がいるんですが、創業者である父の、彼女たちに対する家庭教育の根本は、「自立した女性になってほしい」というものでした。結婚することがゴールで、それですべてがハッピーになるわけではない。自分に生活力があれば、たとえ結婚がうまくいかなくても、人生をまっとうできる。女性の夢を壊すような話かもしれませんが、「娘たちに幸せに生きてほしい」という願いからの教えだったと思います。
その教育は、女性社員に対しても同じです。今までは「結婚したら仕事を辞めて、夫を支えたい」という人が多かったんです。でも、「せっかく美容師には技術があるのだから、パートナーに頼って生きていくのではなく、仕事を続けてほしい」と。私も父と同じ考えでしたので、「美容師という仕事を捨てないでほしい」とずっと社員たちに言ってきました。
シングルマザーの雇用と女性スタッフの復職。
2人の女性の活躍が推進の原動力に。
20年以上前に、美容師免許を持っているシングルマザーの方を雇用したことがありました。当時、政府が母子家庭の就業支援をしており、少しでも役に立てればと採用したところ、その方はとても優秀だったんです。限られた時間の中ですばらしい結果を出してくれて、改めて能力のある人は条件があっても積極的に採用して、活躍してもらおうという考え方が生まれました。
同じ頃、土浦店で責任者を務めていた優秀な女性スタッフが結婚し、出産しました。当時は世の中全体としてもまだ、産休・育休制度が普及していない時代だったので「戻ってきて」という口約束だけでしたが、子供が小学校に入り、手間がかからなくなるとパートとして復帰。元々、能力のある方ですからすぐに力を発揮してくれました。今は管理職として活躍していますが、このふたりの実例が女性の活躍支援を推進する大きなきっかけになりました。
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Q
取り組みの背景には、どのような想いがあるのでしょうか?
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A
「美容」は女性が自立できる業界。
会社がフォローすることで、長く働いてもらいたいと思っています。
週休2日制、有給休暇を導入。
まずは男女問わず、勤めたいと思える会社に。
週休2日制をはじめたのは昭和58年くらいです。当時はまだ珍しかったのですが、自分が勤めたいと思える会社でなければ、「うちの会社に入りませんか?」と言えない。きちんと胸を張って雇用して、その代わりに一生懸命、仕事をしてほしいというのが父と私の根本的な考えでしたので、社長になる前から労務担当として、スタッフが安心して働ける環境づくりに取り組んできました。
50年以上前の話ですが、父が働きはじめた当時は雇用体系がひどいところが多く、「これではだめだ、自分で店を出さないと生活できない」と思って開業したそうです。「夢も希望もなかった」と言っていましたから、自分の店ではきちんとしようと考えたのだと思います。
美容師は女性が自立できる代表的な職業。
管理職としても、活躍し続けてほしい。
サスーンカットの流行やカリスマ美容師ブームなどにより、男性美容師が多くなりましたが、昔の日本で美容学校を設立された方々の多くは女性。以前から優秀な女性美容師の方がたくさん活躍されていました。なので、経営者として女性に活躍してもらわないと「美容室として勝てない」と考えています。
男だから、女だからということではなく、仕事の世界は実力次第です。ただ、一般企業と比べて当社は管理職に女性の割合が多く、そのことからも女性が活躍できる業界だと感じています。だからこそ、責任者や管理職の女性スタッフには、産休前と同じポジションで戻ってきてほしいと思っています。当然、子育てがあるので勤務時間も日数も違いますが、そこはある程度、会社側で調整する形を取っています。
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Q
これからやっていきたいと考えていることはありますか?
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A
今、取り組んでいることを、形だけでなく、
成果や実績につなげて、定着させていきたいと思っています。
いいエピソードが生まれることによって、
みんなの理解が進むように感じています。
実はこの前、浦安店で、ある女性スタッフが産休・育休を取って約1年で復帰したんです。そのときに、彼女が担当しているお客さま全員を引き継いだ同僚の女性スタッフが、そのお客さまを全員、復帰したスタッフにお返ししたんです。当サロンは出来高制になっているので、お客さまの数がすぐに自分の給料に反映されます。でも、引き継いだスタッフは自分のお客さまにせずに、「同僚が産休から戻ってきたときに、ひとりのお客さまも失うことなくお返しできたというのが、自分がひとつやり遂げられた大きな仕事だった」と話してくれました。
制度は届け出を出せばすぐできると思いますが、やはりお店単位でそういう文化が定着していないと、実際には利用しづらいということになります。浦安店の場合は、産休第一号の女性がいるというのもあって、ママスタッフの存在が文化として根付いていたのだと思います。
「ゆりかごから墓場まで」
長くお付き合いできる会社に。
川越店には60代の女性スタッフがいますが、お客さまと一緒に年齢を重ねてきているから、しっかりお客さまがついています。そのためには自分の努力も必要ですが、努力すれば定年など考えずに続けられる仕事だと教えられました。そういう方の存在は、美容が好きなスタッフにとって、大きな目標になると思います。
「ゆりかごから墓場まで」という言葉がありますが、会社の方針としては、新卒で入って、最後まで会社と関わって人生をまっとうしてもらいたいというが想いがあります。女性であればその間にさまざまな変化があります。技術を覚えて、美容師として活躍し、自己実現をする。いい人が現れたら結婚・出産して、子供の成長に合わせて復職する。そのような形でずっと勤めてもらいたいというのが会社の大きな考え方です。個別の状況に合わせていろんな対応をして、長くお付き合いしてほしいと思っています。
「サロンで働きはじめた20歳の頃から、優秀な女性をたくさん見てきました」という松本さんのお話には、多くの女性スタッフのお名前が登場。産休・育休の取得、ママスタッフが活躍している実績に甘んじることなく、女性が働き続けられる環境を文化にしていかなくてはならないと話されるお姿に、「女性活躍」が当たり前になる未来は遠くないと感じることができました!
Company Data
創業50年を迎えた今、創業者の
想いを継ぎ、女性活躍を文化に。