イノベーターが
見ている未来
vol.4
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。
株式会社SORA
北原義紀さん (age.45)
代表取締役社長を務めるヘアサロン「SORA」だけではなく、2015年にはカフェや雑貨ショップを併設した「SALON”アンド”」、アトリエ機能を併せ持つ「ヨハコ」と従来とは異なった価値を持つ新タイプの美容サロンを相次いでオープンした北原さん。美容業界内でも話題を集める、時代を先取りしたような活動とは裏腹に、その出発点は意外にも昔ながらの理容室でした。理容師としての出発から、新機軸のサロンが生まれた背景、そして将来の美容業界に対する想いをうかがいました。
SORA(http://sora-style.com/)
サロン”アンド“(http://salon-and.tokyo/)
ヨハコ(http://www.yohaco.com/)
第1章原点は理容師としての誇り、そして美容師への憧れ
「不真面目な学生から理容チャンピオンへ。
一転、美容師を目指して見えたこと。」
北原さんにお会いしてまずお聞きしたかったのは、最初は理容師としてスタートされて、それから美容師に転向されたという点。珍しい経歴ですよね。
僕の父親は理容師で、実家が理容室だったんですね。その流れで理容師の専門学校へ進んだんですけど、ろくに通わないでサボりまくる不真面目な学生でした(笑)。卒業前に居残り講習を受けてなんとか卒業して、地元の大阪から東京の理容室に勤めることに。就職先は昔気質の理容室で、まさに「修業」という言葉がピッタリな厳しさ。逃げ帰りたくなりましたが、地元を離れるときに大々的に仲間に送り出してもらったので帰るわけにもいかない。ここで逃げて、専門学校時代のダメな自分から少しも進歩していないことになるのも嫌だった。それに同年代の同僚ががんばっている姿を見て、自分も負けられないと踏ん張りました。
そして厳しい修業のすえ、理容コンテストでチャンピオンになられるほど技術を磨かれたと。
そうですね、入店して4~5年もするとコンテストに出れば入賞できるようにはなりました。でも当時はすでに理容師よりも美容師のほうがオシャレというような世間的な風潮があって。自分も理容師であることに誇りは持っていたけれど、誰かに職業を聞かれたときに「ん~?髪切ってるよ」なんて、美容師に思われるようにごまかしてみたり(笑)、なんとなく引け目に思っている部分があったんですよね。
チャンピオンになったらまた違う景色が見えるかなと思ったけど、変わらなかった。なんとなく先が見えたというか、「これで実家の理容室を継いだらうまくいくんだろうけど、それで満足していいんだっけ?」と思って。それでお世話になった理容室を辞めて、美容師として再出発したんです。これが26歳のときで、またシャンプー係から。ずいぶん遅いスタートになりました。美容師の資格は、美容室で「美容」というものをイチから勉強しながら、専門学校の通信課程に通って取得しました。
しかし理容師としての技術があり、そのうえで美容師になったというのは北原さんの大きな武器になったのでは?
理容師と美容師は同じハサミを使う職業ですが、やっぱり違うんですよ。今だから思うのは「きれいな髪型」のロジックがあって、その型を目指して余分な髪を“正確に”切り取っていくのが理容師。一方で、ガチガチに型にはめるんじゃなくて、左右の顔かたちに合わせてニュアンスを出したり後れ毛のような“余韻を残す”のが美容師という感じ。でも当時はこんなふうに理論立てて考えられないから、ヘアアレンジをしても「なんか違うな」って。でもそれって「どうせ床屋だし!得意じゃないんだ」なんてスネて逃げていたせいなんですよね。続けるうちになんとなく“余韻”の大切さがわかってきて、褒められるようにもなって自信がついて、きちんと向き合うようになった。その結果、少しずつ周囲にも認められるようになっていきました。
美容室に勤めていたのは約5年間。イチから始めて、その間に副店長やディレクターにまで抜擢され、幹部の位置にまでなったというのも早いですね。理容師としても美容師としても実績を上げて、そして独立へ・・・という流れでしょうか。
独立したのは31歳。自分は人間くさいところがあるというか、結局「人」が好きなんです。だから「もっとスタッフみんなが熱く、モチベーション高く働けるサロンを作ってやる!」と思っちゃったんですよね。当時の自分を振り返ると青くさいけど。そんな僕の想いに共感した当時の同僚と一緒に立ち上げたのが広尾の「SORA」です。
「心地よく人が集える場所」を考えた時に
次々と生まれる、新しいサロンのカタチ。