イノベーターが
見ている未来
vol.40
その取り組みと背景、そして未来についての展望をうかがいます。
UMiTOS
砂原由弥さん (age.46)
彼女の手にかかると、無名の新人タレントも必ずブレイクするーー。そんな評判を芸能界にも呼ぶほどテレビや映画の現場から引っ張りだこのヘアメイクアップアーティストであり、表参道「UMiTOS(ウミトス)」代表の砂原さん。彼女のクリエイティビティはヘアメイクのみならず、代表を務めるサロンの就労環境にも発揮されている。一般的な尺度には収まりきらない教育・雇用システムと、そうした取り組みをするに至った想いをうかがいました。
https://umitos.com/
第1章実力の世界を知った新人時代
「自分は残れても、
“ほかの人が辞めていく”ことが辛かった。」
砂原さんは独立前、都内の有名サロンにお勤めでしたね。新人時代はどんな感じだったのでしょう。
あまり優等生とは言えませんでした。右も左もわからない1年目、シャンプーをするときの服装を、ホットパンツと厚底靴にしていたんですよ。サロンには制服があったんですけど、ちょっと困った子ですよね(笑)。有名サロンだったこともあり、200人の応募者に対して採用は50~60人くらいで、ルックスもいい子が入るような狭き門。でも自分は背も小さくて、美人でもないし、キラキラしたルックスの同期とどうにか差をつけたくて。それでそんな服装にしてみたんです。
当時のトップサロンはいま以上に厳しい印象ですが、働いてみていかがでしたか。
大手有名店で同期は70人くらい採用されても、成績がふるわない子から3カ月、半年、1年…と徐々に淘汰されていくシステムで、1年経つころには1つの店舗に3人くらいになっちゃうんです。すごいプレッシャーの中で働くし、同期もいなくなっちゃうし、私自身は残れていたものの、辞めていく同期を見ていくのが辛い…と考えるようになっていきました。
それで店長に「辞めたい」と伝えたけど、「お前はせっかく残れたのだからがんばれ」と言われて。悩みつつも働いていたけど、1カ月くらいずっと熱が出続けるようになりました。さすがに店長も心配してもう一度話し合い、退社することにしたんです。
そのころから「人が辞める」というのは私にとって重たい出来事で、いまも辞めようか悩んでいる子には助けになれるようにコミュニケーションをとっています。たとえセンスや技量がないと思っても、私はやる気がある子は後押しする。教育とは、美容というか「生きる」ことを教えているととらえていて、丁寧に、親に代わって指導するのが私のスタイル。雇用主としては効率が悪いかもしれません。
最初のサロンを辞めてから、次に勤めたのも人気のトップサロンですね。
退社したものの、美容を仕事にするのは私のライフスタイル。仕事をしないという価値観は私には存在しませんから、2カ月くらいお休みしてから次のサロンに勤めました。
そのサロンもいまは大きくなりましたが、当時はまだ20人くらいの小さな規模で。入ってから2年後くらいにカリスマ美容師ブームになって、そのころには私もスタイリストになってテレビに出たりメディアのお仕事をさせてもらうように。加えて、スタッフのシフトを決めるような仕事も任されていました。誰を休ませるかで売上が変わるから、どう調整するかは重要なんですよ。
「あなたの夢を叶えるために、私はいる」
そのための雇用、そして教育とは?