第2章売れっ子スタイリストの転機
「妊娠・出産を機に、
新しいスタートを切ることに。」
経営に関わることに興味を持ったのはいつからですか?
独立するまでは、経営のことに時間を割くよりクリエイティブがしたいっていう考えでしたよ。売上が500万円以上あるのに独立しない子って青山界隈では珍しいんですけど、とにかくクリエイティブができればよかった。私は、報酬も二の次。37歳になっても店から離れませんでした。おかげさまで仲間の支えがあり、私の不在時にはほかのスタッフが店を管理してくれたので、私は店長の務めもこなしつつ撮影もバリバリ月に40本はやるというスタイルでいられました。
砂原さんはお母さまも美容師だそうですが、働く姿勢はお母さまの影響もありますか。
仕事に向き合う女性のスタイルは受け継いだかもしれません。母親もそうですが、質を極めていくことに関してマニアックな身内が揃っているんですよ。母親は着付けもしていましたが、一人ひとり着付けや帯の結び方を変えるような着物オタクで、練習をする姿を幼いころに見ていました。父親は国鉄職員だったんですが、必ず指差し確認するようなタイプで…、マニアックなんですよ(笑)。
親戚も美を極めてミス何々に選ばれたり、大企業の会長を務めた人もいたり。ジャンルは違ってもとことん突きつめる傾向があって。だからそんな親戚の中で、他業界と比べて劣っていたら嫌だなというプライドで、美容に真剣に取り組んできた面もあるかもしれませんね。
経営よりもクリエイティブを、と勤め人を続けた砂原さんの独立のきっかけは妊娠・出産だったとか。
当時の美容師は妊娠したら、たとえ雑誌の表紙を任されるような立場でも退職をするのが一般的でした。育休もないような時代でしたから。売上が唯一500万ある女子スタッフの私を、オーナーが産後も社員として残したいものかと思っていましたが、産後あっさり切られたので・・・。じゃあ、お客さまも全部残してきて、角も立たないところでイチからスタートしようと思ったんです。
独立後は地元にあるお母さまの美容室をリニューアルして「海と砂原美容室」をオープンされたんですね。
子どもは南房総という自然の中でのびのび創造力豊かに育てたかったので、南房総を拠点にしながらベビーシッターを雇って私は週5、ヘアメイクの仕事で東京に通いました。そして夜は自宅に帰って授乳をして、始発でまた東京へ…という生活。出発前は、南房総のスタッフのお昼のランチも細やかに用意していましたよ。当時から、「食育」は大事だと思っていたので。
ハードな日々ですが、大変だな、疲れたなっていう気持ちにはならなかった?
ならないんですよ(笑)。私はもともとショートスリーパーなので、若いころは2時間も寝たら十分でしたし。こういう生活は夫の理解も必要ですが、私は「子育て3年半マニフェスト」というのを決めまして。夫も美容師で、ファッションのトップデザイナーと組んで仕事をしていたので、夫の仕事の妨げにならないようにベビーシッターを雇って、夫は子どもと遊ぶだけでいいようにしました。「こうしてくれたらいいのにな」って期待してキリキリすることあるでしょう?勤めていたときはそういうグチも耳にしましたから、最初から子育てしながら仕事がしやすい環境を整えたんです。