ヘアサロン領域
2012.05.18
所沢と小手指に郊外型サロン、そして青山、フランスの4カ所にサロンを展開するATELIER FAGOT(アトリエ ファゴ)。一見、ユニークに見えるその店舗展開も、伺えば1本の筋が通っている。「街のパーマ屋さんに戻りたい」と言う田中さんが考える、「美容という職業の本質」とは。
PROFILE
田中 辰太郎
1965年埼玉県生まれ。都内3店舗に勤務後1992年にフランスのブランド輸入のために渡仏。 サロンワークや作品作りなどを中心に活動し、1993年に帰国。1994年東京都練馬区にATELIER FAGOT(アトリエ ファゴ) をオープン。2004年から香港、タイ、マレーシア、ベトナムを訪問。2005年フランスに現地法人を設立し、エステを含むトータルビューティーサロンをオープン。現在は国内3店舗、フランス1店舗を経営。国内外の技術・経営セミナーの活動を行っている。アジアの美容師ネットワークをもとにサロンワークやセミナー、撮影などを行っているユニット「WaSABI」の代表を務める。東日本大震災の理美容師の業界復興支援を目的とした民間団体「HELP FROM BEAUTY」の発起人の一人。
|第5章|被災地支援で500丁以上のシザーを届けました
野嶋 一方で田中さんは、東日本大震災で被災されたサロンの復興をお手伝いするHELP FROM BEAUTYの発起人でもあるわけですが、そもそもどんなきっかけでスタートしたのですか?
田中 震災当日に直感的に「これは美容師が動かなきゃいけない」と思ったんです。僕らは個人商店、零細企業。それは自分で経営するようになってから、強く感じることなのですが、ヘアサロンは行政や国の中で優先順位が圧倒的に低い。だからこそ、僕ら美容師が助けないといけないとすぐに思ったんです。でも何をすればいいかわからなかった。
野嶋 最初はどんな感じで声をかけていったのですか?
田中 もともと関東と関西で勉強会をしているユニットがあって、その関西の代表と同じ思いだったので、3日後には打ち合わせをしました。みんな支援活動などしたこともないメンバーでしたが、何かやらなくては、という温度はぴたっと同じだったので。
野嶋 最初はどんな活動をされたのでしょう?
田中 3月20日に現地に入りました。そして、まずは情報を収集するために、美容師さんを探したんです。自治体や組合に問い合わせたのですが、当時組合は全く機能していませんでした。そこで「美容師さんがいたら連絡をください」と避難所に貼り紙をすることから始めたんです。さらにTwitterで呼びかけたら、どんどんそれが拡散されて、現地についたらリアルタイムで情報が入ってきました。そこで電話番号を聞いて、そのまま行って話を聞くということをオンタイムで。
野嶋 ひとつの職業で連帯感を持って動くというところがすごいですね。
田中 全国の美容師さんの美容師魂にスイッチが入ったのは、震災から1週間後くらいのとき、自衛隊の人がシャンプーをしている映像がニュースで流れたときだと思います。「まずい、それは俺たちがやるべき仕事だ」と、誰もが思ったと思いますね。僕たちは、現地の状況を伺って、足りないもの、流されてしまったものをリストアップして、物資を運ぶことから始めました。何よりまず、ハサミを届けたい。美容師はハサミがあれば絶対やる気を失わないだろう。避難所の人の髪を切る事で自分を保てるはずだ。そうすれば美容師は大丈夫だという思いがあって。
全国の美容師さんとシザーメーカーさんの協力で500丁以上のシザーが集まりました。それを使い古したままではなく、ちゃんと研いで渡したいという思いがありました。今すぐスタートできる状態のハサミ、それが何よりのメッセージになるだろうと思ったので。皆さん、とても喜んで活用してくださいました。人の髪を切る人たちの思いはすごいな、と思ったものです。僕らは果たしてそれができるか。自分の寝るところが無い状態で、お客さまの安否確認をしながら髪を切って歩いている美容師さんを何人もみました。家族を探した次には、皆さん、お客さんを探していました。
野嶋 ものすごいつながり、関係性ですよね。
田中 被災地の厳しい状況の中で、ボランティアにきている学生さんが1対1のコミュニケーションになるとたちすくんでしまうことがよくあったそうです。でも、美容師さんはそこにすっと入っていろんな人に声をかけていくことができる。人の心をときほぐしていくことができる。そして髪を切って、人を笑顔にすることができる。本当にすばらしい職業だと感じました。